五力伝
Five Force Story
第0話
プロローグ

 

「いい、ラクレス。あの神殿を根城にしてる獣魔《アザー》を追い払うのよ」

人里離れた森の中の神殿を前に、パトリシア――パティは真剣な顔で言った。

黒い上着とスカートに、黒いマントと鍔広帽。手には樫木の杖を持ち、いかにも魔術師ですといった格好の少女だ。年の頃は17、8歳だろうか。

気の強そうな吊り眼気味の瞳で、少年を見つめる。

「おう!まかせろ!」

武道着姿の少年、ラクレスは元気良く応えた。

日に焼けた鍛えられた体をボロボロの道着に包み、こちらはいかにも武道家といった姿だ。パティよりももう4、5歳ほど若く――いや、幼く見える。

ここは『パブリックランド』の首都『ランスロウ』から西に3日ほどの森。司祭が留守にしている間に神殿に住み着いてしまった怪物――『獣魔』を退治して欲しいとの依頼を受け、二人はやってきたと言うわけだ。

「よろしい。じゃあラクレス、行くわよ」

パティはラクレスを前衛に押し出し、神殿の扉を開けさせた。日の光が入らないのか、中は不気味なまでに真っ暗だ。

「こう暗くちゃなにも見えないわね。どんな『獣魔』が潜んでるのかしら?」

「クモだ」

「へ?」

こともなげに言ってのけたラクレス。この暗闇の中が見渡せると言うのだろうか?

「そりゃあクモくらいいたって不思議じゃないけど」

「いや、もっとでっかい」

「でっかいって……もしかしてクモの『獣魔』?」

獣魔にはさまざまな形態のものがいるが、おおむね生物の特徴を色濃く持っている。

「明かりをつけて確認するわ。光輪《ライティング》!」

パティが『力ある言葉』を放つと、手の平サイズの光の輪が出現した。魔術《ゲート》と呼ばれる超自然的な力だ。

光輪はパティの頭上に浮き上がり、周囲を真昼のごとく照らし出す。そして浮かび上がった影は――

「どれどれって……ひぃ!」

パティが品の無い悲鳴を上げるのも無理はない。そこには体長4メートル以上の巨大蜘蛛《ジャイアント・スパイダー》が巣を張っていたのだ!

鋭く伸びた八本の足、口元には硬そうな鋏がカチカチと音をたて、小さな目のが集まった複眼は獲物を見つけて不気味な輝きを放っている。

しかも神殿内に張り巡らされた巣には、人間や他の動物の無残な屍が絡め取られているとなれば、並の乙女ならば気を失っても仕方ない場面だろう。

だが、パティは残念ながら『並の』乙女ではなかった。

「ラクレスゥ!やっちゃいなさい!」

「おう!」

パティの抹殺命令を受け、ラクレスが一歩前に出る。

凶悪な蜘蛛型獣魔に素手で立ち向かう身長150センチ程度の少年。拳を構える姿はぴたりと決まって隙が無いが、傍目には自殺志願者ととらえられるほど無謀な光景だ。

だが、しかし――

「覇!」


バガンッ!グッシャァッ!


気合一閃。少年は正拳を突き出し、《巨大蜘蛛》の顎をカチ上げる!

『キュケェェェッ!』

少年のどこにそんなパワーがあるのか、獣魔は青黒い体液を撒き散らしながら、神殿の壁にたたきつけられた。

まるで地震の様に神殿全体が揺れる。どうやら彼も『並の』少年ではないらしい。ラクレス、恐るべしである。

「よし!そのまま外に放り出すのよ!」

「おう!悪く思うなよ!」

這いつくばる『巨大蜘蛛』へ近づくラクレス。だが!

シュバババッ!

文字通り虫の息(特大サイズだが)の獣魔が、最後の力を振り絞り口から猛烈な勢いで糸を噴射したのだ!

広範囲に広がったため避けきれず、ラクレスの全身にみるみる白い糸がまとわりついていく。

「ラクレス!」

さすがに不味いと思ったのか、パティが心配そうな声を上げるが、

「へーひへーひ!(平気平気!)」

糸越しにくぐもった声が聞こえたかと思うと、ラクレスは絡み付く糸をまとめてむんずと掴み、力任せに振りまわし始めた!

『キャギャァーッ!』

まだ口から糸を出していた『巨大蜘蛛』は、思わぬ反撃に糸を切る暇も無かったようだ。

ラクレスは自らの体重の数十倍の重さがあるであろう獣魔を、まるでハンマー投げのようにブンブン振りまわす。

いまだ目は見えないままなのか、周囲の調度品や神像などをかまわずなぎ倒している。パティも巻きこまれまいと必死で逃げ回るありさまだ。

「ちょっとラクレス!危ないじゃないの!」

彼女は、『魔術』が使えるという以外、基本的に普通の女の子と変わらないのである。

やがて遠心力に糸のほうが耐えきれなくなり、ブッチ!と派手な音を立てて中央からちぎれた。

当然、『巨大蜘蛛』は慣性の法則のままに放物線を描き、またも壁に激突する。


ドバガンッ!バラバラバラッ!


今度はさらに強力なショックのため、古い神殿の壁は蜘蛛の体重+ラクレスのパワーに耐えきれず、ハデな音を立てて砕け散った。

投げ出された《巨大蜘蛛》はしぶとく生き延び、カサカと逃げ出して行く。

「バカ!壁ごとふっ飛ばしてどうすんのよ!」

「いやあ、前が見えなかったもんだから」

ポリポリと頭をかいているラクレス。まったく反省の色は無いようだ。

「もう、しょうがないわね。まあとりあえず依頼は果たしたし。帰るわよ」

「おう!」

そうして二人が神殿を出ようとしたその時!


ポト


パティの鼻の上になにかが落ちてきた。一瞬神殿の欠片か何かかと思ったが、それがかさかさと動いた瞬間、パティの思考は停止した――子蜘蛛だ!

「いぃやあぁぁぁぁ!」

絹を裂くような悲鳴を上げ、パティの両手に光が集まる。そして――


ビカビカビカビカァ!バリバリバリバリ!!


パティの最大攻撃呪文、雷撃《ライトニング》が暴発した!50万ボルトの電流がほとばしり、子蜘蛛は一瞬のうちにチリと化す。そしてその方向に神殿の柱があり、運悪く直撃!


ドッゴオオォッ!


容易く柱を貫通した雷撃は一直線に伸び、空気を焼く焦げ臭い匂いを発しながら放電して徐々に薄れて自然消滅していった。

あとに残る残留電子がパチパチと小気味のいい音を立てている。

「あーびっくりした」

ほっと一息するパティ。蜘蛛にびっくりするあたりはか弱い乙女だが、反射的に最も殺傷力の高い呪文を使ってしまうのがパティという少女なのである。

「なあパティ」

「なによ」

「なんだかこの家やばそうだぞ」

「やばそうって……」

言われてみれば、さっきの《雷撃》で風穴の空いた柱がグラグラと音を立てているし、ラクレスがぶち破った壁からはピキピキとヒビが広がっていく。

それらは収まる気配を見せず、どんどん加速度を増して広がっていき、やがて――

「く、崩れるぅ〜!!」


ガラガラガラガラァ〜〜〜!!!


天井が崩れ落ち、あわや下敷きというところをラクレスが超スピードで抱え上げ、神殿の外まで退避した。

そうして二人は、崩れ行く神殿の最後を呆然と眺めるしかなかったのである。

しばしの沈黙の後――

「ど、どうすんのよこれ!獣魔を追っ払っても肝心の神殿を壊しちゃったら意味ないじゃない!」

「とどめを刺したのはパティのような……」

「言い訳するんじゃないわよ!9割はあんたが壊したんじゃない!」

「うう……すまん」

ぽりぽりと頭をかくラクレス。彼なりに反省しているらしい。

「もう、司祭様には『神殿の老朽化が激しくて、抵抗する獣魔によって破壊された』って報告しとくわ」

パティも神殿の倒壊に一役買ってしまったのであまり強くは言えない。

それにこのラクレスという少年は、超人的な身体能力を持つゆえにやりすぎてしまうことがよくあるのだ。

(やれやれ、またタダ働きだわ……こいつは学習するって事を知らないのかしら。ケンカ以外はからっきしの3級品なんだから)

その彼を利用して一攫千金を狙おうとしているのだから、パティもなかなかの面の皮だ。

彼女にその決意をさせた、二人の衝撃的な出会いがあったのは、今からおおよそ1ヶ月前……
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