「あんたって……凄いと言うか、あきれたわ」
「いやあ、それほどでも」
パティが言葉通りあきれ声で言っても、ラクレスはそれをほめ言葉と受け取ったようだ。
いつもなら「いやあ」のところでポリポリと頭をかくところだが、今は荷物を持っているのでそれはできない。
荷物とはもちろん、先程仕留めた暴狂牛――ラクレスが言うには晩飯のおかず――のことである。
あの激闘のあと、ラクレスはこともなげに暴狂牛の巨大な四肢を縛り上げ、どかっと両肩に担いだ。
そう、重量数tはあろうかという巨体を担いだのである。
ただ倒しただけなら、優れた術師《ユーザー》なら可能だろう。
それだけならパティも「うわーラクレス君すごい!」で済ましたかもしれない。
だが、今彼がズシンズシンと牛を担いで歩いていることに比べれば、そんなことが小さな問題であることがわかった。
暴狂牛の体重が仮に5tとして、それプラス自分の体重およそ50キロ(実に百分の一!)を問題無く支えながら、「これも足腰の鍛錬さ」と涼しい顔で言ってのける少年をパティは(ひょっとしたら暴狂牛なんかよりもこいつのほうがよっぽど化け物なんじゃ)と思わざるを得なかった。
そんなこんなで二人はようやく一本杉の前までたどり着いた。
見てみると、丸太を組み合わせてできた小屋が寂しげにたっている。おそらくこのログハウスがデウス家なのであろう。
「ただいまーじっちゃーん」
ドシンと牛を地面に投げ出し、ラクレスが家に向かって呼びかける。だが返事が無い。
「留守なんじゃない?」
「おかしいな。おーいじっちゃーん。メシとってきたぞーっ」
ラクレスがもう一度呼びかけたそのとき――
「喝あぁああつ!」
まさしく雷鳴が轟くような怒号がパティ達の真上、と言うより上空から響き渡った。
「あれは!」
ラクレスが仰ぎ見ると、なんと一本杉の頂上――つまり地上100メートル地点――に謎の人影が!(ちなみに頂上は足の親指一本分くらいのスペースしかない)
そんな所に直立している人物から、先程の怒号が発せられたのである。距離が遠すぎるため、パティには誰かがいるとしかわからなかったが、ラクレスは誰だか一目で判別できたようだ。どうやら目も良いらしい。
「覇!」
気合の入った掛け声と共に、男は頂上からコードレスバンジ―ジャンプをかましした。
パティは知らないが、この行動は先ほどラクレスが取ったのと同じ移動手段である。
「きゃあ、飛び降りたわよ!」
さすがにパティがうろたえるが、次にラクレスが取った行動は、さらに驚くべきものだった。
「覇!」
跳躍一閃――パティの目にはラクレスがしゃがんだ瞬間、残像を残して消えたように見えた。
粉塵を巻き上げながら、ラクレスは重力に逆らい男に向かって一直線に突き進む。
そして一本杉の中央付近で、弾丸と化した二人が今、交錯した。
その際、またも周囲に響き渡る声で、男がラクレスに問い掛ける。
「応えよラクレス!」
「はぁぁぁぁい!」
気合の入った返事をラクレスが返す。
「漢の理(おとこのことわり)!ひとぉつ!男は常に!」
「強くあるべし!」
「強くあるには!」
「修行あるのみ!」
「食わぬ生き物は!」
「むやみに殺すな!」
男の問いかけに、ラクレスが間断無く答える。
パティにはすれ違っただけにしか見えなかったが、ラクレスはこの一瞬に拳を79発、蹴りを54発放っていた。
だが、そのすべては男に受け流されてしまっていた。
決して正面から受けず(なにせ暴狂牛を殴り殺すパワーだ)、拳や蹴りの軌道をわずかにずらして防御している。
ラクレスも人外魔境な戦闘力だが、この男はそれ以上の達人のようだった。
やがて、二人はポーズを取りながらほぼ同時に着地し、右手のひらに左拳を合わせ、きちんと背筋を伸ばして一礼する。
「また腕をあげたな、ラクレス」
「いやあ」
照れたようにポリポリと頭をかくラクレスをよそに、パティは(こいつらヘンよ、絶対ヘン)と思いつつ、謎の男をしっかりと観察していた。
ラクレスほどボロボロではないが、おそらく同じ物であろう武道着に身をつつんでいる。
その上からでもわかる無駄な肉の無い引きしまった体。
そして問題の顔だが(パティにとってはかなり重要!)、口周りにたくわえられた豊かなひげと、後ろになで付けられた髪が白く染まっていることから、おそらく60歳以上の老人であると思われる。
なぜおそらくかというと、そのきゅっとへの字に結んだ口元と、覇気に満ちた精悍な眼が老いを感じさせないからだ。
「あと40歳くらい若ければね……」
「どうかしたかなお客人」
「い、いえ。なんでも」
思わずもらした感想を聞きとがめられて、焦るパティであった。
「おや?お嬢さん、どこかでお会いしたかな?」
「い、いえ、初対面です」
何とか平静をよそおい答えるパティを見ながら、謎の老人――おそらく彼がクロノス・デウスなのであろう――は首を傾げていたが、ポンと手を打つ。
「おお、ライザの子供か?」
「あ、はい。娘のパトリシアです」
「ふむ、どうりでライザによく似ている。そうか、大きくなったもんじゃな。覚えておらんのも無理は無い。わしが知っているのは生まれたてのころだからな」
と赤ちゃんを抱っこするようなしぐさを見せる。
パティがまったく覚えていないことでも、彼にとってはつい昨日のことのように思い出せるのかもしれない。
「よく似てるって言われます」
「ふむ、将来が楽しみだ」
などと世間話モードに入っていたクロノス老の顔が、きゅっと引き締まり、
「さてラクレスよ。その牛はおまえが仕留めたのだな?」
「おう、じっちゃん」
自慢げにラクレスが言う。だが、
「バカもん!師匠と呼べい!」
ゴツッ、と鈍い音が響く。ゲンコツでどつかれてしまった。
頭を押さえながら「はぁい師匠」とうなずいているラクレスに見えないように、赤くなったゲンコツを痛そうに振りながら、クロノスは悲しげな表情を向ける。
「……不幸にもおまえに討ちとられたこの牛の姿、決して忘れるでないぞ」
「はい、師匠」
珍しく神妙な顔つきでラクレスがうなずく。
「漢たるもの、己がいつこの牛と同じ姿になるやもしれん。そのことを常日頃から頭の片隅にとどめておけ」
「はい、師匠」
「では……」
そこで言葉を区切り、先程までの憂いの表情とは打って変わって、喜色を満面に浮かべこう言い放った。
「今夜はすき焼きだ!」
「わーい!すっき焼っきすっき焼っきぃ!」
どこからか取り出した鍋に、これまたいつのまにか手にしたお玉をクロノスがカンカンと打ち鳴らす。
それに合わせてラクレスがうれしそうに両手を上げて踊りだした。
「……やっぱりヘンな人たち」
全身で喜びを表す二人を見ながら、パティは正直な感想を漏らさずにはいられなかった。
「ほう、手紙を届けに来たと」
グツグツといい匂いをたてる鍋を囲みながら、これまでのいきさつを話し終わるころには、もう日はすっかり山並みの向こうに姿を消し、辺りは暗闇に支配されつつあった。
本来ならこのカースホーリー山で夜を迎えるということは、この世に未練が無いと思われても文句が言えないほど危険なことである。
だが、今のパティはその点に関してはまったく心配していなかった。
なにせ『暴狂牛以上の怪物』ラクレス少年と、その『師匠』であるクロノス老が共に鍋を囲んでいるからである。
ちなみに、今囲んでいるすき焼き鍋は、すべてクロノス老が調理したものだ。あのあと――
「ラクレス、わしの『斬肉大包丁』を持て!」
「はい、師匠!」
言われたラクレスが、家の裏にある物置から、自分の背丈ぐらいの刃渡りがあるでかい包丁を持ってきた。
「さて……」
その包丁を汲み置きの水で清めてから、
「どりゃあぁ!」
気合一閃。なんと暴狂牛の巨体を軽々とさばいて見せたのである。
「ようは食材の『目』にそってさばけば良い。無駄な力はいらん」
そういって肩肉、腿肉、胸肉と次々に切りさばく。
あっという間に骨だけになった牛を手厚く弔い、材料を家の厨房(驚くほど立派)に運ぶ。
裏の畑から野菜をチョイスし、調理開始となった。
「うまい料理に仕上げることも、また供養のうち。やるぞ!ラクレス!」
「はい!師匠!」
クロノス老は真っ白な料理服に着替えると、なぜか制限時間を一時間と決めて調理にかかった(まるで料〇の鉄人である)。
そして出来上がったのがこのすき焼き鍋なのである。
味は例えようも無くうまい
「この手紙を祖父から預かってきました」
色々あったが、ようやく本題に入ることができた。クロノスは手紙を開き、一通り目を通す。
「ふむ。この手紙によると、『ラクレスをそろそろ町に下ろせ』とある」
「そうなんですか」
「そしてマクドーガル家、すなわちお嬢さんの家に預けろと」
「ええ!うちにですか?」
パティが驚きの声をあげる。
当のラクレスは、自分のことが話されているのもかまわず、一心不乱にすき焼きを平らげていた。
「うむ、ラクレスもそろそろ世に出て修行の成果を試すころあいだと思っておった。この手紙は渡りに船。ラクレスをよろしく頼みますぞ」
「はあ……」
いきなりの申し出だが、祖父のロトゥールの命令である以上、さすがにいやとは言えない。
「わかったなラクレス。このお嬢さんと共にこの山を降りるときが来たのだ」
「はい、師匠。ところで……」
「申してみよ」
「山を降りて何したらいいんだ?」
「そうだな、ひとまずはG−ロトゥールに師事せよ。都会での生活はあやつのほうが慣れておるでな」
「わかった。そのジジイなんとかに聞けばいいんだな」
「うむ。精進するのだぞ」
「おう!」
あれよあれよという間に話が進んでしまっている気がする。パティは漠然とした不安を感じざるを得なかった。
(こいつ、大丈夫なのかしら。あんな常識はずれの行動をする奴が、ちゃんと町で普通に暮らすことができるのかしら)
「出発にあたり、おまえに餞別をひとつ授けよう」
と言いながら、クロノスは物置から古ぼけた箱を重そうに持ってきた。
「なんだこれ?」
「開けてみよ」
埃っぽいはこを開けてみると、中にあったのは……
「とんかち?」
「ハンマーとよべい!」
そう、箱の中にあったのは、紛れも無くハンマーであった。
まあ大工道具のとんかちに比べればもっと大きなものだが、柄の長さが30センチほどの、片手で使うハンマーだった。
「名を『トール・ハンマー』と言う。かつて雷神が使っていたと呼ばれる伝説のアイテムだ。。腕輪がついておろう。それをはめて「戻れ」と命じれば、ハンマーがどこにあっても戻ってくるというものだ」
「へえぇ」
「まずはやって見せよう」
そう言うと、庭に出たクロノスは腕輪を右手にはめ、ハンマーを振りかぶり「フン!」と外に勢い良く投げる。
ハンマーはブンブンと放物線を描いて飛んでいく。そこで、
「戻れ!」
クロノスが一声叫ぶと、まるで何かにぶつかったかのように、物理的にありえない動きをしてハンマーが戻ってくるではないか。
「まあこう言うことだ」
戻ってきたハンマーをバシィッとつかんでクロノスが言う。
「面白そうだ!俺にもやらしてくれ」
腕輪をつけると、ラクレスはグルングルンと腕を回し、思いきり勢いをつけて「とおりゃぁ!」と西の空にハンマーを投げつけた。
それは恐ろしい勢いでヒュンヒュンと飛び、易々とマッハの壁を貫き、あっという間に肉眼で確認できなくなってしまった。
「戻れぇ!」
西の空にキランと光る星ひとつ。
それはすさまじい加速度をつけて、やはりマッハの壁をぶち破り戻ってきた。
「む、いかん!お嬢さんこちらへ!」
「え?きゃっ
クロノスがさっとパティを抱えて飛びずさる。
次の瞬間――
シュバ!ズドン!
周囲には物体がマッハを超えた時に発する衝撃波『ソニックブーム』が巻き起こり、すさまじい爆発音が轟いた。
「きゃあぁぁぁあ!」
間一髪難を逃れたパティが、クロノスに抱えられたまま見たものは、ガシッと戻ってきたハンマーを握り締めるラクレスの姿だった。
「バカもん!少しは加減という物をしれい!」
「いやあ」
さすがにビックリしたのか、バツがわるそうにポリポリと頭をかくラクレス。
――どうやら投げたのと同じ力で戻ってくるらしい。パティはそう判断した。
「ねえ、あたしにもやらせて」
「おう」
パティは(伝説のアイテムなら高く売れるかも)とか不純なことを思い浮かべながら、魔術的好奇心もあって実際に使ってみたくなった。軽く投げる程度なら問題無いだろうと思ったのだが……
「む、待たれよ、お嬢さんには――」
とクロノスが止めるのも間に合わず、パティがハンマーを受け取った瞬間――
「よいしょってきゃあぁぁぁ!」
ラクレスが手を話した瞬間、パティはハンマーの超重量に耐え切れずに、地面に突き刺す形で落としてしまった。
「な、なによこれ!メチャメチャ重たいじゃない!びくともしないわ!」
深々と地面に突き刺さったままのハンマーをどうにか動かそうとするが、まるで根を張った大木のように、ハンマーはぴくりとも動かなかった。
「ひょっとして、伝説のアイテムってことは、「その血を受け継ぐものしか使えない」ってこと?」
「いや、ただ重いだけだ」
ガク、っとパティがずっこける。今日はよくずっこけたり悲鳴を上げたりする日だ。
「そのハンマーは見た目よりも遥かに重くてな、100キロ以上はあるだろう。お嬢さんではちときつかったか。はっはっはっ!」
パティの仮説をあっさり否定し、クロノスが豪快に笑っている。
どうやらラクレスばかりでなく、この老人も外見からは想像もつかない腕力をしているらしかった。
なぜかつられて笑っているラクレスに、
「ラクレス、明日からおまえは世界を知ることになる。『井の中の蛙大海を知らず』の言葉をかみ締めて来い」
「はい、師匠」
まじめな顔に戻って応えるラクレス。
クロノスは満足そうにそれを眺めやり、
「おおそうだ。肉が余ったのでついでにふもとの肉屋に売ってくるといい。それを支度金にせよ」
「シタクキンって?」
「金のことだ、おかね」
「おう。おかねだ」
ホントにわかってるのかなぁと二人のやり取りを聞いていたパティだったが、途中であることに思い当たる。
(そうだわ、こいつのバカヂカラを使えば……うふ、うふ、うふふふふふふ)
「どうやら歓迎してもらえそうですな。良かったな、ラクレス」
「おう!」
おもわずニヤニヤとしてしまったのを、どうやら歓迎していると見られてしまったようだ。
「よろしくね。ラクレス」
そういってにっこり笑って手を差し伸べる。
だが、その裏には――こいつのバカヂカラを使って一儲け――などとよからぬ計画がうごめいていた。
「よろしくな!パティ!」
ラクレスが手をしっかりと握る。そう、しっかりと――
「ぎゃあああああぁぁぁぁ!」
「む、いかん!お嬢さんしっかり!」
油断していたところを突かれ、手の骨を砕かれそうになるパティ。
だが、薄れゆく意識のなかで、パティは(いける。こいつのバカヂカラと、あたしの頭脳があればいけるわ!)と一攫千金の甘い夢に浸るのであった。
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