五力伝
Five Force Story
第17話
冥界の女王2

「……それは大変ですねえ」

 廊下で待っていてくれたアンナが心底同情したようすで呟いた。

「この学長からの手紙を女王様に届けるだけらしいけど、大変なの? 実はヘルクイーン島《冥女王島》って良く知らないんだけど」

 ずるっとこけるアンナ。どうやら相当意外だったらしい。

「し、知らないんですかパティちゃん!?《冥女王島》といえば、カースホーリー山《呪聖山》に勝るとも劣らない危険指定区域ですよ!」

「そうだったんだ。まあ《呪聖山》も危ないって言う割にはなんとかなったし」

「それはラクレス君達に会えたからですよ。並の術者が迷いこんだら、五体満足では出られないって言われてるんですから」

「ふーん、そうなんだ。どんな感じに危険なの?」

 パティは何か知りたいときにはまずアンナに訪ねることにしている。

 彼女の知識量は尋常ではなく、下手な教師などよりよほど物知りなのだ。

「えーとですねえ、人間と交流を避けた人魔《アゼル》たちが治める島で、レベルの高い獣魔《アザー》がたくさん生息してるらしいです」

 フォースワールドの『力』を自らに宿し、奇跡を起こす『術』を身につけたのが《魔術師》なら、肉体そのものが変化してしまっている者たちを《人魔》と呼ぶ。

 千年の昔にフォースワールドの神々より直接『力』を授かった者は《人魔》となり、獣は《獣魔》となった。

 《人魔》たちは知能も高く、人間を超える力を持つものが多いため、人間を対等の存在と見ない傾向があり、古くから大きな戦争を何度も繰り返してきた。

 固体としての能力は《人魔》が圧倒していたが、純潔の《人魔》の血統は少なく、数において圧倒する人間と泥沼の混戦状態が続いていたのである。

 しかし、十数年前の『人魔戦争』で一応の決着がつき、今は共存を目指してお互いに歩み寄っている最中のはずだ。

「こないだエルフ《森妖精》の女の子が花売りやってたけど、ああいうのも昔は考えられなかったんでしょ?」

「そうですよ。『人魔戦争』のあとから徐々に交流が広がってきたんですから。ジオおじ様からその辺の話は聞かないんですか?」

「う〜ん、なんかピンと来ないからなあ……」

 自分の父が『人魔戦争』の英雄だと人づてに良く聞かされるのだが、家でごろごろしている様を見ると、とても『常勝将軍』の異名を持つ人物とは思えない。

「まあパパの事はいいとして、《冥女王島》は交流してくれないの?」

「それがですねえ、無い事も無かったはずなんですけど……何ヶ月か前から交易に向かった商船が帰って来ないとかなんとか……」

 目をそらしてと口を濁すアンナ。

「そ、そんなやばい感じのとこへ乙女を送り出すわけ!? いくら単位のためって言っても何考えてんのよ、あの行き遅れは!」

「パ、パティちゃん、それは学園内では禁句よ!?」

 思わず口走ったNGワードにアンナが青ざめる。30才を超えて独身の女性はパブリックランドはおろか大陸でも珍しい存在なのだ。

 さすがにパティも不味いと思い、周囲に目を光らせる。

「ふう、誰もいないわね……」

「どうかしまして?」

 ビクゥッ

 突然の背後からの声に口から心臓が飛び出しそうになる。しかし、この声はマンティストル教師のものではない。そう、このどこか人を見下したような声は……

 ゆっくり振り向くと、声の主は廊下の向こうから腕を組んで得意げに胸をそらしていた。

「あ〜ら誰かと思えばパトリシアさんじゃありませんこと」

 パティよりも少し高い背に負けず劣らぬプロポーション。腰まである豪奢な金髪を縦ロールにして頬にたらしている。

 気品のよい顔立ちだが、優雅さよりも高慢さが鼻についてしまう辺りに、この娘――シモーヌ・ステファニーの人となりが現されていた。

「あ〜ら誰かと思えばシモーヌさんじゃありませんか」

 負けじと胸をそらして応える。なんとなく対抗心が燃えてしまう。

「最近パトリシアさんが学園に来られないものですから私てっきり……」

「てっきり……なによ?」

「どこぞの原住民にナグサミモノにされているのかと」

「……さらっとひどいこと言わないでくれる?」

 こめかみを震わせながらこみ上げるなにかを感じるパティ。

 このシモーヌという娘、何かにつけてパティに絡んでくるのだ。

 歳は一つ上の18で(魔術学園は年齢が規定されていないのでその辺はバラバラである)パティと並ぶほどの魔術の才能を持ち、その容姿もあいまって同学年では『双璧』と並び賞されている。

 それだけなら別に仲良くなれない理由にはあまりならないのだが……

「そうだ! パティをナグサミモノに出きるのは私だけだ!」

 ザザザッ

 またも突然の声。今度は廊下ではなく、中庭の茂みから現われた。

「……まったくもう、一体どこから出てくんのよあんたは! ってゆうか今なんつった!?」

 ゲシィッ!

 とりあえず一発頭をしばいておく。

「ふ、あいかわらず過激な愛情表現だね、パティ」

 全身にまとわりつく葉っぱやくもの巣を払いのけながら、エゼルバート・グランシャスはさわやかに歯を光らせる。

 金髪長身美形、おまけに貴族の生まれと一見火の打ち所のない青年だが、性格に少々、いやさかなり問題があったりする。しかし……

「エゼルバートお兄様になんてことを!」

 きっ!とこちらをにらみつけるシモーヌ。

 そう、これが彼女がパティを目の仇にする理由なのだ。

「さあお兄様。傷口を見せて下さい。早く消毒しなくては。それとも毒を吸い出して解毒《キュアー・ポイズン》の魔法をかけたほうがよいかしら」

「人をマムシかなにかみたいに言わないでくれる?」

 なんでもエゼルバートの遠縁に当たるそうで、『高貴な血を薄めてはならない』とかいう理由で花嫁候補になっているらしい。いわゆる許婚というやつである。

「もうよいシモーヌ。それにパティの毒なら皿まで食べよう」

「ああ、良くはわかりませんがなんて心の広いお方」

……なんとなくかみ合っていない会話。この二人がそろうといつもこんな調子である。エゼルバートが言い寄ってくるのも迷惑な話なら、そのせいでシモーヌに泥棒ネコ呼ばわりされるのも勘弁して欲しかった。

「行こ、アンナ」

「あ、待ってパティちゃん」

 これ以上かかわってもろくな事が無いのでその場を去ろうとすると、

「《冥女王島》は危険だ。いくらパティといえど一人で行くのは無謀ではないかな」

 急に真面目ぶってエゼルバートが呼びとめる。

「そこで提案だ。頭脳明晰、豊かな財力に教師並の魔力を持つ極めて優秀なボディーガードを雇わないか?」

 もったいつけてすすすっと近寄ってくる。自信過剰もここまでくれば立派なものだ。実はそれほど過剰でもなかったりするのだが。

「ああ、そんな夢のような人材がこの世にあらすのですか?」

 シモーヌが夢見る乙女のように瞳を潤ませて手を組んでいる。背景にバラが咲いていそうだ。

「おあいにく様。あたしにはただで使えるボディーガードがいるから間に合ってます」

「く、またあの小僧か。奴さえいなければ今ごろパティは私の虜に……」

「なりません!」

 なにやら悔しげなエゼルバートにはっきりと告げてから、パティはそそくさと退散した。

 うしろから「あの子さえいなければ、今ごろお兄様は私の虜に……」とか聞こえてきたが無視する。

「ねえパティちゃん、本当に行くんですか?」

 アンナが不安そうに覗き込んで来る。

「まあね。単位のためってのもあるけど、ひょっとしたら……」

「ひょっとしたら?」

「《人魔》の秘宝とかありそうじゃない!」

 がくっときている親友を横目に見ながら、パティの心はまだ見ぬ島に飛んでいた。

「さて、旅の準備でもしますか!」



「……よろしかったのですか、学長」

 ろうそくの明かりだけの暗い部屋で、マンティストル教師はローブの人影に報告した。

「いくら彼女が優秀とはいっても、一介の魔術師には荷が勝ちすぎるのでは?」

 フードをすっぽりかぶっているため、どのような人物かは判断がつけ難いが、聞こえてきた声は女のものだった。

「……あの子は一人ではありません。それにいざとなれば……」

「いざとなれば?」

 フードの影の顔が笑ったように見えた。

「……そのときになればわかりましょう」



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