五力伝
Five Force Story
第18話
冥界の女王3

「たっだいま〜」

 ここは首都『ランスロウ』でも指折りの高級住宅街『富裕街』に建てられたマクドーガル邸。

 さっそく旅支度をしようと戻ってきたパティを出迎えたのは、姉妹のように育ったメイド達ではなく、少年の叫びだった。

「ふせろ! パティ!」

「へ?」

 言われるままにかがんだパティの頭上を、

 バシ! ビュンッ! ブオオオ!

 “なにか”が猛スピードで通過した。ソニックブームがパティの髪を激しく叩く。

「あ、危ないじゃないのよラクレス!」

「いやあ、わりいわりい」

 その“なにか”を受け止めた姿勢のまま、居候――ラクレス・デウスは頭をポリポリとかいている。

 小さいが鍛えぬかれた肉体をいつもの道着に包み、腕にはさっき受け止めた“なにか”――ハンマーを握っている。

 この少年、人間離れした身体能力を誇り、素手で岩を砕いたり、滝を逆流させたりを平気でやってのける。

 さっきもハンマーを受け止めた音の後に風切り音がしたので、おそらく音速を超えていたのだろう。

 で、このハンマーがどこから飛んできたかというと、

「もう! トールハンマーの練習は人がいないところでしなさいってあれほど言ったじゃない!」

「いやあ、手元が狂った」

 そう、このハンマー、ただのハンマーではない。

 戻れと命じると、投げた力と同じ力で帰ってくるという魔法のハンマーなのだ。

「おかしいな、毎日練習してたはずなんだけど、すごい久々に投げた気がする」

「……気のせいよ。忘れなさい。この世界で長生きしたければね……」

 パティがぶわっと脂汗をたらしながら忠告する。

「よくわからんが、わかった!」

 とりあえず返事だけは元気良く。

「パティさま、大丈夫ですか?」

「おかえりなさいませ、パトリシア様。おケガは?」

 メイド服の少女が二人、慌てて駆け寄ってくる。亜麻色の髪を左右に束ねた小さい方がモイラ、後ろでひっつめた大きいほうがミーシャだ。

 二人は姉妹で、パティがまだ小さい頃に『家族と思って仲良くしなさい』と父のジオがどこからともなく連れてきた。以来、メイド頭のマーサに仕込まれ、マクドーガル家に仕えている。

「ただいま……危うく首から上が無くなるところだったわ」

 ほっと胸をなでおろすモイラ。ミーシャは相変わらずの無表情だ。実に対照的な姉妹である。

「すごいんですよラクレスさま! こーんな大きな岩を持ってきて、手でまあるくけずっちゃうんですよ!」

 安心したのか、気を取り直して嬉しそうに庭の球体を差す。

「なに? これ」

 それは直径2メートルほどの石の玉だった。周りに残骸らしい破片が転がっているところを見ると、本当に岩を削って作ったらしい。

「これぞ流派天覇活殺『岩石球』の行じゃ!」

 庭先から高らかに宣言してくれたのは、パティの祖父であり、ラクレスの『町の師匠』G−ロトゥールだ。98歳とは思えない覇気のある声である。

「自然石を己の五体のみで球形に削る。完全な玉を生み出すためには力だけでなく、研ぎ澄まされた技が必要じゃ」

 岩石球をペタペタとさわり、

「うむ。初めてにしてはまあまあじゃな」

「いやあ」

「しかし、まだ力に頼っておる。表面にムラが多いわ」

「う、」

 ポリポリと頭をかきつつ固まるラクレス。しかし、素手で岩石をコレだけ削れれば十分に思うのは、パティが拳術家ではないから――だけではあるまい。

「あいかわらず無茶やってんのね。それよりラクレス、旅の準備よ」

「おう! 今度はどこだ?」

 嬉しそうにぐるぐると腕を回す。世界最強を目指すラクレスにとっては、旅も修行の内らしい。

「《冥女王島》よ。《人魔》が住んでるんですって」

「人魔? 山の奴等とは違うのか?」

「ん〜、動物と人間の違いってゆうか、まあ普通にお話しができる人達のはずよ。こないだエルフの女の子助けたでしょ」

「そうか」

 良くわかったとうなずいているが、怪しいものだ。

「冥女王島か。昔ジオとライザが行った事があるはずじゃが……」

「え? パパはともかくママも?」

 父のジオはこの『パブリックランド』の大将軍なので、軍の遠征や外交で外国へも出張することがある。今日も北の『ピースランド』との合同演習とかで明日まで返ってこない。しかし、母のライザは普通の主婦のはずだ。

「うむ、お前が生まれる前はジオと共に世界中をまわっておった。昔からジオのあとを追っかけておったからのう」

 意外な話だった。パティはてっきり、ジオのほうが追いかけていたとばかり思っていたのだ。

「ふ〜ん。いっつもママに頭が上がらないから、てっきりパパが拝み倒したもんだと思ってたわ」

 そういえば二人の馴れ初めとかはあまり詳しく聞いたことは無かった。ロトゥールの道場に、ジオが弟子入りしたときに出会ったらしいが……

「で、そのママは?」

「マーサと夕飯の買い物にいっとる」

 マーサはパティが物心つく前からマクドーガル家に仕えているメイド頭で、ミーシャとモイラの教育係でもある。

 確か今年30になるはずだが、『私は一生マクドーガル家に仕えます』といまだに独り身だ。

「残念。帰ってきたらその辺の話を聞いてみよっと」

「はっはっは、昔はライザのほうが苦労しとったぞ。何しろあの男、『ランスロウの種馬』と呼ばれとったからな」

 ぼっと赤くなるパティ。いつも冷静なミーシャもほんのり頬を染めてうつむいている。

「パティ、タネウマってどういう意味だ?」

 屈託の無い顔で答えにくい事を聞いてくるラクレス。

「し、知らないわよそんなこと!」

 ずかずかと大股で庭を横切る。後ろでモイラがあどけない声で、

「ロトゥールさま、タネウマってどんなお馬さんですか?」

「うむ。つまりじゃな……」

「おじい様!モイラに変な事教えないで下さい!」

 しっかりと釘を刺しておくパティだった。


「そう、《冥女王島》へねえ」

 その日の夕食後、母のライザに今日の出来事をかいつまんで説明した。

「でね、ママは昔行った事があるんでしょ? パパと一緒に」

 向かい合う二人は、親子というより姉妹に見える。

 36歳にして二人の子持ちとは思えない、バツグンのプロポーションや美しい黒髪はパティに良く似ている。(正確にはパティが似ているのだが)

 顔立ちも似ているのだが、パティが勝気な性格を現すような吊り目気味なのに対し、こちらはおっとりした性格を現すようなたれ目だ。

「ええ。あのころは大変だったわ。『人魔戦争』の真っ最中だったから。でも今は人間との共存を望んでいるはずよ。苦労したもの」

 遠い昔に思いを馳せるように目を閉じるライザ。

「ねえねえ、そのころからパパと結婚するつもりだったの?」

 唐突だが思いきって聞いてみることにした。娘としては気になるところだ。

 丁度今は他に誰もいない。メイド達は後片付けをしているし、ラクレスとロトゥールは食後の修行で道場だ。

 母は少し困ったような顔をしながら、

「そうねえ、ママはそう思ってたわ。この人にどこまでもついていこうって。でもパパは……」

「やっぱり浮気者だったの?」

 昼間ロトゥールに聞いた話を思い出す。きっといろんな女の人にちょっかいを出していたのだろう。

「う〜ん、ちょっとちがうかな。なんというか、本気になれない人だったから」

「本気になれない?やっぱり遊び人てことじゃあないの?」

「ううん、違うの。口で説明するのは難しいけど、本気で人を愛せない……そんなかんじだったわ」

「ん〜、そんな風には見えないけど」

 普段家にいる父親を見る限り、そんなクールな側面はかけらも見えない。

「それはね……」

 微笑を浮かべながらすっと立ちあがる。

「あなたのおかげよ。パティ」

 優しく母の腕に抱きしめられた。

「パパにはね、仲間はいても、家族はいなかったの。ずっと一人で」

「そうだったんだ……」

 父の意外な生い立ちに、少なからずショックを受けるパティ。

「でもね、ママと一緒になって、あなたが生まれて、すごく喜んだのよ。自分にも家族が出来たって。だからパティをすごく大事に思っているわ。うらやましいくらいよ」

 確かにジオはパティを可愛がっている。ある種異常なほどだ。たまにうっとおしく思ったりするが、なんとなくその理由がわかった気がする。

「……でも、いまだにいっしょにお風呂に入りたがるのはやめて欲しいわ」

「困ったものね」

 言いながらも、母と娘の顔には微笑みが浮かんでいた。



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