五力伝
Five Force Story
第二十話
冥界の女王5

「なあパティ、いいかげん意地を張らずに私の元へ来たらどうだ?」

「しつこいわね。嫌なものは嫌なの!」

「フフフ、怒った顔もまた美しい……」

 どんよりと曇った空の色を映す、暗く深い海を二隻の船が行く。

 とはいっても、パティが乗っているのはボートと言って差し支えない小型船で、上から見下ろすエゼルバートはそれなりにしっかりした帆船だ。

 何故こんな事になっているかというと、時は数時間ほどさかのぼる。


 

「ラクレス、あれが海よ」

 潮風に髪をなびかせ、御者台の上から海を眺めるパティ。

『パブリックランド』東の果て、『ガラハド』は海に面していて、目的の《冥女王島》はその海の向こうにあるという。

「うわぁ〜、でっけえ池だな〜!」

 生まれてはじめて海を見るというラクレスが、その雄大さに感嘆の声を上げている。

「池じゃなくて海よ」

「?池とどうちがうんだ?」

「う、海は波があって水がしょっぱいのよ」

 素朴な疑問をぶつけられてパティは返答に困った。彼女も陸の中にあるのが湖で、陸の外にあるのが海というぐらいにしか認識していない。こんなときアンナがいれば詳しく教えてくれるのだろうが。

 港についたパティ達はさっそく船を出してもらう事にしたが、

「悪いねお嬢ちゃん。今は《冥女王島》に船は出してないんだよ」

「ええ!? どうしてですか?」

 船乗りらしき男達に訪ねるが、渋い顔をして断られてしまい、足止めを食う事になった。

 実はパティはすでに交易が途絶えている事を知っていたが、ここは何も知らないフリをして情報を聞き出すことにした。

「二ヶ月ほど前だったかな。それまでは一応商売していたんだ。《人魔》の工芸品は高く売れるからね。しかし船が戻らないことが何度か続いて、捜索船も返ってこない。だからしばらく様子を見ようと言う事になったんだ」

「そうなんですか……どうしよう」

 とりあえず困った。船が出ない事には島に行く事すら出来ない。

 パティが思案に暮れていると、後ろから聞き覚えのある声が響いてきた。

「あ、あ〜ら誰かと思えばパトリシアさんじゃありませんこと」

 馬車の窓から身を乗りだし、どこかくたびれた様子のシモーヌが嫌味な笑みを浮かべていた。御者台のマックスは平然としていて対照的だ。

「あ、あ〜ら誰かと思えばシモーヌさんじゃありませんか。こんな東の果てにどんな御用ですの?」

 負けじとふんぞり返って微笑む。元々負けず嫌いのパティだが、シモーヌにだけは負けたくないと思っていた。

「そ、それは……」

 一転して口篭もる。いきなり現われてわけのわからない態度だ。

「もちろん君を守るために!」

 また聞き覚えのある声。こちらはなぜか馬車の上に立ってポーズまで決めている。本人はかっこいいつもりなのだろう。シモーヌほどではないが、やや疲れた顔をしている。

「おお、実に1週間ぶりだなパティ。潮風を頬に受け裸足で駆けていく君も美しい」

 よくわからない賛辞を口にするエゼルバート。ちなみに船着場なので浜辺ですらない。

「……ちゃんと靴は履いてるんですけど。なんであんたまで来てんのよ」

「フ、君が出発した事を知って、居ても立ってもいられなくなったのだよ」

「……待ち伏せしてて、あっさり無視されたクセに」

 御者台でヘロヘロになっているラリッサが小さく呟く。こちらは疲労困憊といった感じだ。

「《激痛(ペイン)》!」

 力ある言葉が放たれる。

「ぎいやあぁぁぁ! 一週間不眠不休の身体には一段とつろうございますゥ!」

 そう、エゼルバート達はこの一週間ほぼノンストップでパティ達の後を追っていたのだ。

 何故そのような事態になったかというと、純粋にスピードの差が原因だ。

 ラクレスの引く『ラクレス車』は通常馬車の二倍強のスピードで疾走する。本気を出せばもっと速く走れるが、それでは引いている車本体と乗っているパティが耐えられない。

 いかにパティの神経が図太くても、肉体は普通のお嬢様なので長時間の高速走行は危険なのだ。

 それに夜には出来ればベッドの上で眠りたい。馬車の中で休む事も出来るが、今回は魔術学園の課題として旅するわけだから旅費は請求するつもりでいた(もし学園からおりなくても学費の一部としてパパに出させるつもり)。

 なので宿場町を利用し、食事もきっちりと名産品を平らげてここまでやってきたのだ。じつに快適な旅であったと言えよう。

 比べてエゼルバート達は悲惨であった。

 本来優雅に旅するのが似合う一行なのに、初日にパティにおいていかれたせいで、必死にその差を埋めなければならなくなった。

 彼らの馬も通常馬に比べれば名馬の部類に入るが、どんな名馬も『ラクレス号』にはかなわない。見る見る差をつけられ、あっという間に見えなくなる。

 さらにラクレスと違って、馬は疲れるし水や食事も定期的に与えなくてはならない。

 それでも追いつかんとエゼルバートは、馬とラリッサに《持久自足(タフネス)》の魔法をかけ、夜通し走りつづけさせた。

 ちなみにこの魔法、持続時間中は疲れを知らずに走りつづけられるが、効果が切れるとその二倍疲れるという地獄のような副作用がある。

 おかげで馬達とラリッサは死ぬ寸前まで体力を消耗しているのである。実に過酷な旅であったと言えよう。

 シモーヌは別に魔法をかけられていないが、都会育ちのお嬢様が1週間も馬車に揺られ続けたらだれでもこうなるだろう。むしろタフなほうだ。

 不思議なのは御者のマックスで、彼は魔法を受けずに1週間徹夜で馬を操っている。

「これでも昔は『絶倫のマックス』と呼ばれていたものです」

 だそうだ。どうやら強い男らしい。

「ああそう。でもまあ、手伝ってもらうにも島に行けないんじゃあ話にもならないわ」

 彼らの相手をすると何となく疲れる。パティはわざと大げさに「シッシッ」のポーズを取った。

「む、何故島に行けないのだ?そこに立派な船があるではないか」

「しばらく出す予定は無いんですって」

「どれどれ」

 馬車の上からスタッと飛び降り、船乗り達に交渉するエゼルバート。どうせムダだろうと眺めていると、

「喜べパティ。彼らが船を出してくれるそうだ」

「えええ!? ああ、そういうわけね」

 驚くパティだが、船長らしき男に渡されたぎっしり重そうな金貨袋を見て納得した。

「さあ、私の船だ。遠慮無く馬車を乗せるといい」

 なぜだか勝ち誇ったようなエゼルバートの顔がむしょうに気に入らない。なので、

「嫌」

 反射的にこう応えてしまったのも無理の無い事だろう。

「な、何故だパティ? この海を渡らねばならんのだろう?」

「嫌なもんは嫌なの! あんたに借りを作るくらいなら泳いで渡るわ!」

 正直なところ、乗せてもらったほうがありがたいが、こうなったら後には引けない。

「まあ! お兄様のご好意を受けないなんて、なんて娘なのでしょう!」

 ようやく復活したのか、シモーヌがズズイッと割りこんでくる。

「別に頼んだわけじゃないわ! そっちが勝手に船を買いとったんでしょう!」

「うう〜お兄様! こんな娘もう放っておいて帰りましょう!」

「むう、そういうわけにもいくまい……」

 激昂した少女二人に挟まれ、さすがに渋い顔のエゼルバート。

「そういうわけにしといて! おじさん、あの船借りていいですか!?」

 金貨袋を持ってニコニコ顔の船長につめよる。

「あ、ああ。あれは最近使ってない旅行客の沖釣り用だから、別にかまわんが」

 隣の交易用とは大人と子供の差があるが、船には違いない。

「ラクレス! あの船に荷物を載せて! 出発するわよ!」


 

……とまあそんなこんなで港を出る事になった。ちなみに船の動力はご想像の通りラクレスである。『借りを作るくらいなら泳いで渡る』を密かに守っている辺りがパティらしい(もっとも、守らされているのはラクレスだが)。

「パティ、この水ホントにしょっぱいなあ。それにすげえ深い」

 肩にロープを引っ掛け、船を牽引しているラクレスが珍しそうに言う。

 はじめは後ろからバタ足で押していたが、ラクレスから前が見えないので方向が定まらないという欠点が発見された。

 よって現在の平泳ぎ牽引式に変更したのだ。ついでに言うと航海術を持たないパティ達は、自分たちの現在位置を確認する事が出来ない。 この辺りの海は特に目印も無く、ただただ広い地平線である。

 なので、実は隣のエゼルバートの船を頼りにしている。ラクレスがその気になれば引き離すのは簡単だが、海で迷子になるのはあまりに危険だ。

「はいはい。それよりまだ見えてこない?」

 ラクレスは視力も常人ばなれしている。先ほどから島を探させているが、

「ずーと水ばっかだぞ。本当にそんな島あるのか?」

「遠くにありすぎると、間に何も無くても見えなくなるらしいわ」

 これは大地が丸いからだといわれているが、真偽の程はまだわからない。しかし遠くの大陸はいくら魔法で視力を良くしても見えない事から、ひょっとしたらそうかもとパティは思っている。

「そんなもんか。ところでパティ」

「なに?」

「水の中に住んでる人間っているのか?」

 一瞬ラクレスの言っている事がわからなかった。

「は? なにいってんのよ。いるわけ無いでしょ」

「そうかぁ、みまちがいかなぁ」

 泳ぎながら器用に腕組するラクレス。カエル足だけで十分船を引けるところが恐ろしい。

「!? ちょっとまって、水の中に人がいたの?」

「ああ、こっち見てた」

「それってもしかして……」

 人間が水中で活動できる時間など限られている。普通の大人でもいいとこ二分くらいだろう。訓練されたものなら十分ほど潜っていられるらしいが、それでも長くは無い。

 つまり、それは人間ではない存在。という事は……

「お、もどってきた」

「え?」

 結論にたどり着きかけたときに、ラクレスがなんでもない事のように言い放つ。

「しかも仲間をつれてきたみたいだな」

「ええ?」

 船上のパティからはまったく見えないが、ラクレスが言うのだから間違いないだろう。つまり、複数の――

「《魚人(マーマン)》よ!」

「まーまん?」

「魚の能力を持った《人魔》よ。魚以上に水の中を自由に動き回れるらしいわ。きっと《冥女王島》の見張りかなんかよ」

「そうなのか。でも見張りなのにエゼルバートの船につっこんでいくぞ」

「えええ!?」

 さっきから驚きっぱなしだが、一番驚いたのは、ラクレスに言われてからすぐに、隣の立派な船が傾き始めたことだ。

「うわああぁ! 浸水です!」「水をかきだせ! いや穴をふさぐのが先だ!」「いやだ! 死にたく無い!」

 船内はまさに大パニックだった。いそいで救命ボートを出す者や、争って救命具を身につける者、ここぞとばかりに食いだめする者までいた。

「わ、私の船が……」

 甲板で一人、エゼルバートがわなわなとしている。彼からしても、それなりに痛い出費なのだろう。しかしぐずぐずしていると痛いのが財布の中身だけでは済まなくなる。

「お兄様! 早く脱出を!」

 いよいよもって船が沈んで行く。あっという間の出来事だ。良く見るとマックスがぐったりしたラリッサを抱えて「彼女の身寄りは私だけなんだ! 先に乗せてくれ!」とか嘘をこいている。生き残るためなら手段を選ばないタイプだ。

「お、次はこっちに来るな」

 あっけに取られていたパティの意識が引き戻された。あんな大きな商船を沈没させるほどの者たちが、この小さなボートに群がるというのだ。

「じょ、冗談じゃないわ! 逃げるわよラクレス! 180度回頭!」

「いやだ」

「ええええ!?」

「敵に背を向けるのは漢の理に無い」

 言いながらも顔は嬉しそうだ。どうやらラクレスに火がついてしまったらしい。

「ちょっといってくる」

 肩からロープを外し、ドプンと海中に没するラクレス。

 かくして、ラクレス対《魚人》の海中決戦が始まった!



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