ウェンレーティンの
野望編

第二十章
カストリーバ脱出作戦
(前編)


「ウェ・・ウェンレーティンですって!?」

「ウェ・・ウェンレーティンだとおっ!?」

 俺とマイケルは同時に叫んでいた。

『え・・?』

 と、同時に残りの3人は間抜けな声を上げる。

「なぁ・・ウェンレーティンってなによ?」

 鎧を着け終わったキッドはテーブルに腰かけて訊いた。

「ウェンレーティン侯爵家・・。ここメリア地方の全権を任されている自治領主です。」

 マイケルが重々しく答える。

「こ・・侯爵!?」

「ええ。この地方一帯を治める支配者と言った方がわかりやすいでしょうか。

 トリスタン王家とも親族関係がありその権力は絶大な物・・。

 彼に追われる立場となったと言うことは、この地方一帯の衛兵や役人は全て敵に回したと言っていいでしょう。」

「んな・・!?」

 マイケルの説明で自分たちが置かれている危機的な状況に気付き、皆絶句した。

 しばらく重い沈黙が辺りを支配する。

「・・ヴァーンの最期の頼みにウェンレーティン、そしてマイクと来たか・・。なるほど。事の筋は大体読めた。」

 俺は腕組みをしながら皆にそう言う。

「読めたって・・。どう言うこと?」

 キッドはそう言って俺の方に顔を向けた。

 俺は壁により掛かったまま腕を組み、皆に言い聞かせる。

「ヴァーンの爺さん、引退直前に古代遺跡でかなり貴重な魔道器を発見したという、その筋では結構有名な話があってな。

 この件に対しヴァーンは何ら発言を行なわず、さっさと人目を逃れるように隠居して姿をくらましたんだ。

 そのせいで話はどんどんでかくなって一説では国すらも傾けられるような強力な魔道器だと言われるようになった。

 ヴァーンがかたくなに隠し続けているってのがその噂に信憑性を与え、話を聞きつけて欲しがる奴らも出て来るわけだ。」

「その中にウェンレーティン侯爵家が含まれていたわけですか・・。」

 マイケルが溜め息混じりに口を挟んだ。

「そうだろうな。最近先代の跡を継いだ現ウェンレーティン当主は自分の権力しか頭にない、いかれた野心家だって話だ。

 奴は密かにトリスタン王国を狙っているという話もある。。

 王家に謀反を起こし、王権を手にするつもりなんだろうって話がな。」

「む・・謀反なんてまさか・・。」

 トリスタン王国軍の強さは際だって強い。

 兵力、練度、そして指揮官にしても全てに置いて強い軍隊だと言えた。

 だからこそ現在、大国として広く君臨しているのである。

 謀反ときいてキッドが驚くのも無理のない話だった。

「そのまさかなのさ。

 そんなウェンレーティンに居場所を突き止められたヴァーンは危惧を憶えた。

 もうあの爺さんも歳だからウェンレーティン家相手に守り通すこともできまい。

 だからもっとも安心して預けられる愛弟子、マイクを頼ろうとした。

 クリスに言った『最期の頼み』ってのもそう言うことなんだろうな・・。」

 思いもよらなかった壮大な話に、皆が黙り込む。

 この槍の行方いかんで大きな戦争が勃発する可能性があるのだ。そして知らぬ内にその中心に俺達は足を踏み込んでいた。

 皆が緊張するのも無理のない話だった。

「ともかくそいつをマイクに届けられたら俺達の勝ちだ。その後は奴が俺達も含めて保護してくれるだろう。

 ここを気付かれずに抜け出せたらそれだけで時間稼ぎは出来る。まずはここを脱出し、街道を逸れてトリスタンを目指す。」

 俺はバンと壁を叩いてそう言った。この一撃で皆の表情が引き締まる。

 俺の頭の中では既に脱出のための作戦が練られていた。

 戦時にトリスタン側の傭兵として参加していた俺は、この辺りの地理や地形には明るい。

 町の大半がぐるりと城壁で囲まれているため、脱出は容易ではない。

 だが湖に面した一角だけはさすがに城壁は無い。脱出できる可能性が一番高いのはここからの経路だろう。

 城壁は内側からならば上に登るためのはしごが掛かっているところも多いが、外側に出るには飛び降りるしかなくなる。

 水堀のないここの城壁から飛び降りれば今の俺ならただでは済まないだろう。

 城門からの脱出は論外だ。仮に上手く門番を出し抜いて外へ出られたとしても、平野が続く盆地で騎馬隊に追いかけられたら逃げ切れるはずもない。

 地下下水道を通って湖岸まで行き、そこから不意を付いて船を奪って逃げるのが一番だろう。

 決行は夜しかない。

 俺は窓から外をちらりと見る。

 既に日は落ちかけていた。すぐそばには地下下水道水路へと降りるための入口が見える。

「キッド。あそこに見える地下下水道を通って湖まで出る。そこで船を奪って脱出するぞ。」

「地下下水道で湖まで行けるのか?」

「この街では下水は地下下水道を通して湖に捨てられる。間違いないさ。

 早い方がいい。すぐに決行するぞ。」

 俺はすぐに家の出口の方へ行き、辺りに人の気配がないか慎重に確認する。

「げっ・・下水道・・ですか?」

 あからさまに嫌そうにしているのはマイケルだ。この男には抵抗が大きいらしい。

「良いから黙って来い。」

 俺は周りに人の気配がないことを確認してから足早に地下への入口へ移動した。

 マリアとクリスがすぐ後に付いてくる。マイケルはキッドに手を引かれてやってきた。

 入口に来た時点でむわっと強烈な匂いが俺達を襲う。

 それも意に介さず俺は先頭を切って足早に降りていく。階段を下りきると少し開けた場所に出た。

 すぐそばに水路が見える。そして足場は水路の前までで終わっていた。

 もともと家に排水溝がない家の住民達が汚水をたらいなんかに入れて捨てる場所だ。

 中を通るわけでも掃除しに来るわけでもないため、下水道内には通路はまったく造られていない。

 今立っている足場だけが唯一の足場だ。

 この先へ進むにはこの汚水流れる水路に足を突っ込みながら進まなければならない。

 奥の方に目をやると、光も届かない地下水路は真っ暗闇だった。

「マリア。ライトを頼む。」

「あ・・はいっ」

 マリアは俺の指示を受けるとたどたどしい手つきで魔法詠唱の準備にはいる。

 マリアはもたもたと手慣れぬ様子で詠唱を開始した。

 小さな口から声を潜めて術式を紡ぎ出す。やがて胸の前で広げていた両の掌に魔力が集中し、青白く光り始めた。

 マリアは掌の中に出来た光球を両手でふわりと上げた。光球は風船のようにマリアの頭上に落ち着く。

 頭上に上がった瞬間、光球は強く輝き始め辺りを明るく照らし始めた。

「テイファさん。出来ましたけど・・。本当にこの中を進むんですかぁ?」

 先程までは平気そうにしていたマリアだが、下水道の実物を見ると退けてしまったようだ。

「進む。こういう場所だからこそ、警備の目も無い。」

 戸惑っている奴らを尻目に俺はさっさと水路に足をつけた。深さは大したことはない。すね当たりまでだ。

「こらこら。テメェ等の命がやばいって時にこんな事で戸惑うな。いくぞ。」

 キッドが俺の後に続く。

「そ・・そうですよね・・。私達が捕まっちゃえば私達だけじゃなくて、沢山の人達が戦争に巻き込まれるかも知れないんですもんね。」

 そう言ってマリアが足を踏み入れた。

「わたしに関わってしまったばかりに巻き込んでしまって・・。ごめんなさいですぅ。」

 泣きそうな声で謝るクリス。

「大丈夫ですよ。テイファさんはとても賢い方ですからきっと今回も無事に切り抜けられますよ。」

 マリアはクリスに笑みを向けるとクリスの手を取った。

 マイケルもかなり躊躇していたが皆が入っていくのに観念し、足を踏み入れた。

「みんな、この時間帯だとまだここに水を捨てに来る住民もいないとは思うが出来るだけ音を立てないように行こう。」

 キッドはみんなにそう指示を出すと俺を抜いて先頭に立った。

「マイケル。殿(しんがり)は頼む。今からは出来る限り声は発するな。」

 みんな声を出さずに頷いて答えた。キッドはそれを確認すると一つ頷いて下流へ進み始める。

 ジョボ・・ジョボ・・。

 暗い水路が続く。日の当たらない地下の空気はひんやりしていて、強烈な匂いが閉じこめられたまま溜まり込んでいた。

 先頭にキッド。すぐ後ろに俺。その後ろにマリアとクリスが横に並んで殿(しんがり)にマイケルが付いていた。

 キッドは注意深く前方の物音や気配に気を配りながら進む。自然と進む速度は遅くなる。

 水路の壁や天井の所々に家々から直接繋がっている排水路が開いている。

 今の時間だとそこから汚水が流れてくる心配はほとんどないが、それでも時折排出される音は水路内に反響する。

 俺達はそれをひっかぶらないよう、出来るだけ排水口を避けて常に注意しながら前進する。

 かなりの集中力がいる行軍だ。柔な奴ならばすぐに疲れ果ててしまうだろう。

 また、こういった不衛生な場所では感染症や寄生虫の危険もあった。

 これを予防するためにみんな鼻と口に布きれを押し当てて進んだ。

 限りなく不潔な場所、息苦しさと暗さ、そしていつ出口が見えるともわからない不安感。その上声を発することも許されない。

 これらが強烈なストレスとなって皆を苦しめる。

 皆、よくは耐えているが俺以外の者はこのストレスによるイライラから表情が険しくなっていた。

 マイケルは不快感に顔を歪め、マリアは泣き出しそうな顔をしている。

 特にに先頭を歩き、排水口から何からに気を配っていたキッドの心労は相当なものだろう。後ろから見ていて表情は見えないが、疲れが色濃く出ていた。

 クリスは・・・・全然平気そうな顔をしている。

 俺が視線を向けるとクリスもそれに気付き、にこりと微笑み返してくる余裕っぷりだ。よく見るとめげそうになっているマリアをしっかりと支えている。

 うーむ・・。出会った時と言い今と言い・・。測りしれん女だな。

 とにかくキッドの心労がかなり厳しいところまで来ている。

 結構歩いてきていたが下水道も直線に引かれているわけではない。そのため後どれだけの距離があるかはわからなかった。

 俺がキッドに交替しようと呼びかけようとしたとき、俺の後ろから声が上がった。

「あ・・もうすぐ出口ですぅ。見えてきましたですぅ。」

 クリスだった。

 マリアのライトも照り出せていない先の闇を見通したのか。

 微かに前から吹き付ける微風に外の空気の匂いがする。俺もそう言われて初めて出口に近いことを悟った。

 出口という言葉に皆の表情が和らぐ。

「よし、マリア。ライトを解除してくれ。これから闇に乗じて舟を拝借する。

 皆、外には恐らく見張りもいるはずだから気を付けるようにな。まず暗闇に目が慣れるまではここに待機する。」

「はいっ」

 マリアの返事と同時にライトが消された。辺りは一瞬で闇に包まれる。

 顔の前にかざす自分の手も見えない漆黒の闇だ。俺達は息を潜め、目を慣らす。

「この暗闇で舟を探すのですか・・。見つけるだけでも大変そうですね・・。」

 マイケルが不安そうに漏らす。

「それなら大丈夫ですぅ。」

 またクリスだ。

「わたし、暗いところでもよく見えるんですぅ。だからお舟を探すのはわたしがやるですぅ。」

 無邪気な微笑みを浮かべながらクリスはそう言った。

 俺も夜目はきく方だ。この暗闇の中、俺は既にクリスの表情が見えるにまで順応している。

 俺は少しクリスを試してみることにした。

 俺は右手を顔の横にまで挙げて、指を3本立てる。

「クリス。今俺の指、何本立っている?」

「3本ですぅ。」

「よし。合格。いいかクリス。お前に偵察を任せる。近辺の地形と舟のある位置、そして見張りの衛兵達の位置をよく見てきてくれ。

 偵察が終わったらここに戻って報告。見つからないように注意しろ。」

「はいですぅ。」

 元気よく返事を返すクリス。しかしそこにキッドが待ったをかけた。

「待て。テイファ、メイドだった彼女には危険すぎる。ここは俺が行く。」

 キッドはそう言いながら腰のハンドアクスを外す。臨戦態勢だ。

「キッド。お前にしてもマイケルにしても俺にしても音を立てずに近付くのは無理だ。鎧が鳴ってしまう。

 その点クリスはそんなもの無いし夜目も効く。男1人投げ飛ばす技も持っているしクリスが一番適任なんだ。」

「しかし・・。」

「クリスはただのメイドじゃねぇ。市場で合流したときも俺が感知できないくらい完璧に気配を断っていた。

 隠れていたクリスの気配、お前には掴めたか?」

 キッドは1つ溜息をついてアックスを腰に収めた。

「わかった・・。ただし見つかったらすぐに俺らも飛び出すぞ?いいな。」

「キッド・・。」

 マイケルが口を挟もうとするがキッドはとっさにそれを制した。

「ここはテイファに従おう。魔道士と殺り合ったときも彼女の策で勝てたんだ。

 この娘の観察力は俺には測り知れねぇよ。さすがにゴンザのとっつぁんの養女ってのは伊達じゃねぇや。」

 俺が俺の養女であると言うことは、あの事件の後に話していた。

 キッドもマイケルも大変驚いていたが、新米冒険者に似つかわしくない知識、装備等もこの出自で納得してくれた。

「わかりました・・。」

 この2人は先輩冒険者としての見栄にこだわらず、俺の話をよく聞いてくれるので助かる。

 実力はまだまだだが、いい奴らを拾った物だな。今更ながら俺はそう実感していた。

 

 

 俺達は出口の前まで出て来た。

 外には月が出ており、月明かりが程良く辺りを照らしている。

 出口すぐ脇は土手になっていて、10メートルほど水路が続いている。その先は湖だ。

 俺はクリスに合図をするとクリスは頷いて外に飛び出した。

 3メートルほどはある急な勾配の土手を3ステップで音もなく飛び越えていった。

「な・・なんだありゃ・・。」

 ぽかーんと口を開けて驚くキッド。

「相当訓練された身のこなしですね・・。」

 同じく驚きを隠せないマイケル。

「すごぉい・・。もしかしてクリスさんって忍者さんなんじゃないですか?」

 そう言うマリアの表情は他の2人よりも余裕がある。

「ここまでとは・・これは嬉しい誤算だな。」

 俺自身クリスにそこまで期待はしていなかった。

 ただ者ではないと思ってはいたが、あそこまで動ける女だとはな。

 しかしあの世間知らず加減と言い、言動と言い・・。忍者ではないだろう。

 俺はここからは見えないクリスの上がっていった岸の方へ目をやった。物音はない。

 俺達は息を潜めてクリスの帰りを待った。



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