ウェンレーティンの
野望編

第二十一章
カストリーバ脱出作戦
(後編)



 夜の闇の中。

 音もなく少女は走っていた。

 月明かりが夜を照らすが、人が走り回るに十分な光源ではない。

 その闇の中を湖岸沿いにメイド服を着た少女、クリスは猫のような俊敏さで走っていた。

 湖岸の丘の頂上に立ったとき、彼女は砂浜の先に港があるのを確認した。

 多くの漁船らしき舟が並び、見張りの衛兵が松明を片手にうろうろしている。

(お舟、見つけたですぅ♪)

 クリスは声に出そうになるのを堪えて目を凝らした。

 その光景を目に焼き付けるように注意深く観察する。

(でもあそこはいっぱい人がいるですぅ・・。)

 溜め息混じりにクリスはふと手前の砂浜に視線を移した。

(あ・・。)

 クリスは浜に打ち上げられた小さいボートを見つけた。

 この大きさなら乗れて四人が限度だろう。

 しかもここからははっきり見えないが、壊れている可能性もある。

(とりあえずここまでなら見つからなさそうですぅ。皆さんを呼びに戻りましょう・・)

 クリスは地下下水道の排出口があった方に向き直り、また地を蹴った。

 

 

 地下下水道の排水口で俺達はクリスの帰りを待ち続けていた。

 誰も一言も発することなくただ息を殺す。

 敵に見つからないために息を殺していたのもあるが、下水道の突破で皆疲れていた。

 今も下水の匂い立ち込める出口で潜み続けなければならない。

 自然と気も重くなる。

 文句一つ言わないが、皆早くここを出てしまいたいんだろう。皆土手の上を見上げ、足下に視線を向ける者は1人もいない。

 そうしているいると、なんの前触れもなくクリスは土手の上からひょっこり顔を覗かせた。

「皆さん、来て下さいですぅ。この先にある丘までは安全ですぅ。」

 そしてそのまま俺達にそっと声をかける。

 音も気配もほとんど立てずに帰ったクリスに、俺以外の全員が一瞬驚く。

「ク・・クリスか。ああ、びっくりした。」

 そうは言いつつもそれまで険しい顔をしていたキッドの顔がほころんだ。

「よしっ。やっとこの場から抜けられるぜ・・。みんな、上がれ。」

 キッドがそう言うとみんなパッと顔に精気がみなぎる。

 やっとこの肥溜めから解放されるのだ。

 俺達はキッドの指示に従って勇んで土手を登り始めた。

 キッドとマイケル、そして俺はひょいひょい登り切る。そして最後に急な勾配に苦戦しているマリアをキッドが上から引っ張り上げて全員が地下下水道から解放された。

 まず全員で深呼吸。

「くぅぅぅ。空気が美味いぜ。」

「テイファさん・・。お星様がきれいですよ〜。」

「湖の波の音が洗われるようで心地良いですね・・。」

 狭く汚い場所からの解放。皆その解放感にしばし酔いしれる。

「よぅし。一息ついたら丘まで行ってみるか。」

 キッドは背伸びをしながら皆に顔を向けてそう言った。

 敵地にいるという時に一息入れようとは緊張感に欠ける発言だ。しかしこれからの逃避行のことを考えると一息入れられるときに入れて置いた方がいいだろう。

 追われる恐怖やストレスというのは、あんな下水道進むよりも厄介だ。

 時として何日にも渡って息を抜く事すら許されないこともあるのだ。

 心労と疲労にこいつ等が何処まで耐えられるか・・。

「こっちですぅ。」

 クリスが先頭に立って俺達は移動した。

 丘と言うより小さな岩山を登り、俺は向こう側に目を向けた。

「あそことそこにお舟があるですぅ。」

 クリスが指す方を見ると1方は港に繋がれた漁船、手前の砂浜に打ち上げられたボートが見えた。

「手前のアレは使えないな・・。この人数は乗れまい。バラバラに脱出してはぐれたら目も当てられん。

 奥の港で拝借するしかないな・・。」

 奥の港の方には見張りの兵士が松明片手にうろうろしているのが伺える。

「結構いるな・・。」

 俺の横で同じように様子をうかがっていたキッドがボソリと漏らす。

「あれだけの見張りを出し抜いて舟を奪うのですか・・。

 よほど上手く立ち回らなければ不可能ですよ・・。」

 マイケルが不安げに港を見つめる。

「策は俺が考える。どのみち作戦の決行はもっと夜が更けてからだ。

 連中も突然の夜勤に駆り出されて眠い目こすっているようだしな。

 まず湖で汚水を洗い落とし、交替で少し休もう。

 まずはマイケルとクリスとマリアで洗いに行ってこい。その間俺達はここを見張る。」

「・・わかりました。」

「はいですぅ。」

「はいっ。」

 返事をすると3人は岩山を降りて行く。

 俺とキッドは3人を無言で見送った。

「ふぅ・・。しかし実際どうするんだ?あの人数相手に大立ち回りはさすがに無理だぜ。」

 キッドは港の方でゆらゆら動く松明の明かりをぼんやり眺めながら呟く。見張りはざっと20人はいるだろう。

「今回の作戦、もう既に大体の所は決まっている。」

「何?もう考えていたのか?」

 驚くキッドに俺は自信ありげににやりと笑みをむけた。

「今回の作戦の成功の鍵を握るのはマリアだ。憶えさせた新魔法を上手く制御しきれるか・・。」

「勝機はあると思うか?」

 キッドが不安そうな顔で俺の顔を見た。

「勝機がない物に命は賭けられねぇよ。俺を信じろ。」

 俺がキッドの肩に手を置いて微笑むとキッドは苦笑した。

「まったく・・。いくらテイファがゴンザのとっつぁんの養女だと言っても駆け出し冒険者なのにな。

 おいちゃん形無しだよ。」

 わざとらしくしょぼんと俯くキッド。しゃがみ込んでいじいじと岩をつついている。

「こらこら。大の男がいじけるな。」

 俺がそう言うとふっとキッドが笑みを浮かべた。

キッドさぁーんテイファさぁーん

 岩山のしたから控えめな声がした。マリアの物だ。

 キッドとクリスも一緒にいる。どうやら軽い水浴は終わったらしい。

「終わりました。交替しましょう。キッド、テイファ。行ってきて下さい。」

 マイケルは上まで来ると交替を告げた。

「気持ちよかったですぅ♪(^-^)」

「テイファさん、キッドさん、見張りは任せてゆっくりして来て下さい♪(^0^)」

「おうっ。んじゃ行くか。」

「ああ。それじゃここ頼むぞ。」

 俺とキッドは立ち上がり、湖の方へと降りていった。

 

 

 あれから数時間が経った。

 俺達は交替で少しだけ仮眠を取り、眠気を完全に飛ばしてから行動に移ることにした。

 見る限り、見張りの疲労もかなり溜まってきている。不意を付くには今ぐらいが丁度いいチャンスだろう。

「いいかマリア。今回上手く行くかどうかはお前にかかっている。手筈通りに頼むぞ。」

「はいっ!」

 マリアは精一杯な真剣な顔をして杖を握りしめた。そのまま目を閉じ、静かに魔法詠唱を始める。

 以前、ドルニエに施した治療魔法の時のような危うさはない。しっかり確実に、丁寧に術式が紡ぎ出される。

 マリアが今回詠唱している魔法はダークネスだ。

 導師護衛の一件以来マリアにこつこつと術式を教えてきたのだが、その時に憶えた魔法の1つだ。

 今回は従来の術式に応用を加えた術式を組んで闇を細長い壁状に出し、更には壁の移動が行えるように組ませた。

 普通導師級にならねば出来ないような術式組み替えをマリアは既にやってのける知識を備えている。

 魔法は問題なく発動した。

 前方約10メートルから向こうはすっかり闇に遮られ、こちらから視認することは出来なくなった。

 全員、鎧を外した軽装で岩山を下る。少々無防備だが近付くときに音を立てるわけには行かない。

 俺達は砂浜に降り立ち、港に向かって進み始めた。

 目測で大体の距離は掴んでいる。後は距離を歩測しながら進んでいけば前方が見えていなくても問題なく近付くことが出来る。

 先頭にはキッドとマイケルが立ち、2人共歩測しながらじりじりと港へ近付いていった。

 俺は闇の先の気配に神経を集中させる。しかし元々向こうからこちら側は暗くて見えにくい上、ダークネスの壁に阻まれ俺達に気付くのは大変困難だ。案の定、気配に動きはなかった。

「よし。マリア止めてくれ。」

 キッドがボソリとマリアに指示を出した。マリアは頷いて壁の制御を行う。すぐに壁の前進は止まった。

 俺達はすぐに壁のすぐ手前まで歩を進める。壁に入り、顔だけをこっそり向こう側に出して敵の様子をうかがった。

 港には多数の倉庫が建っている。一番手前の倉庫の前には見張りが3人立っていた。

 どいつもこいつも疲労の色が濃く、壁により掛かる者、座り込んで居眠りしている者、ぼけーっと夜空を眺めている者など全く予想通り隙だらけだ。

 キッドがハンドアクスを闇の壁の外に突き出す。合図だ。

 キッドとマイケルがすぐに飛び出した。俺もそれに続く。

 出来るだけ足音を立てないように倉庫前まで一気に突っ走る。

 まずキッドが上を眺めている奴に襲いかかった。

「・・え?」

 キッドは今頃気が付いた衛兵の頭をハンドアクスの峰の部分でどつく。

「へぎゃっ」

 衛兵はあっけなく崩れ落ちた。

「な・・へぷっ!?」

 異変に気付いた壁により掛かっていた衛兵が声を発するが、身構えるより早くマイケルは華麗な回し蹴りを衛兵の横っ面にお見舞いする。

 パーンときれいな音が響き、兜を被っていなかった衛兵は思いっきり脳を揺さぶられて気を失った。

 残るは寝ている奴である。俺はとっさに背後に回り、相手の左腕を極めてから残った右腕全体を使い首を絞めた。

 ハッと一瞬目を醒ましたものの、またすぐ夢の世界へご招待だ。俺が腕を放すとばったりと倒れ込んだ。

 全員を倒し俺達は互いを見合って軽くガッツポーズを決める。そして直ぐさま衛兵の装備を拝借する。

 衛兵の鎧は俺とキッド、マイケルが身に着けた。衛兵に支給される物で全て型は同じだ。少しは目をごまかすことは出来るだろう。

 ここまでは予定通りに上手く事が運んでいる。

「よし。次のステップに移るぞ。」

 皆を集め小さな声で指示を出す。

 3人の寝ている衛兵達をマリアの作った闇の壁の中に引きずり込み、同様にマリアとクリス、そして俺もその中に身を隠せる位置に待機する。

 闇の壁は現在、倉庫と倉庫との隙間に移動させてある。通路というわけでもなく、ここを通る者はいまい。

 俺はキッドとマイケルが配置に付いたことを確認し、マリアに次の魔法の指示を出した。

 マリアは頷くと小さな声で魔法詠唱を始めた。

 ライトの魔法。マリアは今の段階で出来る最遠方に光を出現させた。俺達が通って来た砂浜の上だ。

 ライトが出現するとキッド達に合図を送り、俺達は闇に身を隠した。キッド達も行動を開始する。

 変装したギッド達が見張りを呼び、あの光の方へと注意を逸らせるための作戦だ。

 キッド達は港の奥の方へと姿を消した。

 そして程なく倉庫の裏の方がにわかにに騒がしくなってきた。

 非常警報用の太鼓の音が鳴り響き、いくつもの足音がこちら側へ向かってくる。

「あったぞ!あれか!!」

「ぼうっと光ってるけど・・化けモンじゃないだろうなぁ・・」

「よし。確認に向かうぞ。ついてこい!」

 ざわざわざわ・・。

 10人分くらいの声が光の方へ向かって消えていった。陽動は成功したようだ。

「よし。後は正面突破だ。」

 俺は周りに人の気配がないのを確認してからマリアとクリスの手を引き、闇を出た。そしてそのまま奥の方へと歩を進める。

「テイファ。こっちだ。」

 倉庫の角の所でキッドとマイケルが待っていた。

「一気に行くぞ!」

 キッドは人数を確認してから奥の方へ躍り出た。

 マイケルと俺もそれに続く。マリアは角に隠れたまま、魔法詠唱を始めた。

「どうした?何があった!?」

 問いかける衛兵の顔面にキッドは走った勢いをつけたまま拳を叩きつけた。

「・・ぷおっ」

 どさりと衛兵が倒れると、舟の前付近を警備していた衛兵達が一斉に振り返る。

「何事だ!連中の襲撃か!?」

 次々に剣を抜く衛兵達。その数はざっと12人くらいか。

「まだ沢山いますね。キッド、半分はまかせますよ。」

「わぁってるよ!テイファ。そっちの方は頼んだぞぉ!」

 キッドとマイケルが前方に突出して武器を構える。俺はそのやや後方で舟の方に移れるタイミングを計っていた。

 今俺達の左手に倉庫が一件あり、その向かいの桟橋に小さな漁船が一隻停泊している。

 俺はそれに目を付けた。

「行きます!!」

 後方からマリアの声。俺はその声と同時に目を閉じた。

 瞼越しにも視界が明るくなり、男達の悲鳴が上がった。

 またまたライトの魔法だ。この暗がりの中、あの閃光を浴びせられればしばらく視界は利くまい。

 光はすぐ収まり、それを合図にキッドとマイケル達は敵へ躍り掛かっていった。

「テイファ!マリア!クリス!!先に行けぇ!!」

 衛兵を薙ぎ倒しながらキッドが叫んだ。

「はいですぅ!」

 クリスはマリアを左手に引き寄せるとそのまま駆け出した。ほとんどマリアを抱え込むような体勢でこちらに向かって走る。

 俺は桟橋へ向かった。途中で衛兵の1人が行く手を遮る。視界がきいていないので脅威ではないが邪魔だ。

「ち・・」

 俺が身構えた瞬間、衛兵は横からのマイケルの一撃で吹き飛ばされた。

 エストックの柄のナックルガードでの一撃。マイケルはすぐに後ろに向き直り、次の敵と相対する。

「邪魔はさせません!テイファ!早く!!」

「すまねぇ!」

 俺は桟橋へ走った。この上には見張りもなく、俺はすぐに係留してあるロープをほどきにかかった。

「テイファさん。間に合いましたですぅっ。」

 すぐにマリアを抱えたクリスも追いつき、乗船する。

「マイケル!!キッド!!こっちはOKだ!!」

「よし!今行く!!」

 俺達の合図をきき、2人は桟橋へと駆け出す。ここに残っていた見張りはもうあらかた倒されていた。

 残る者も視界が思うようにきかず、追うに追えない。

「テイファさん!みんな戻って来ますですぅ!」

 クリスが指差す方を見ると先程陽動した連中が駆け足で戻ってきている途中だった。

 このままだと舟を出す前に追いつかれるだろう。

「へへ・・。ここまで予想通りに事が進むと気持ちいいな。マリア、最後の仕上げだ。」

 俺は船尾部分の操舵席へ移り、余裕を持って言ってやった。

「は・・はいっ」

 マリアは岸の方へ意識を集中する。軽く術式を唱えると先程の闇の壁が再度動いた。

 そして壁はすっぽりと先頭を走る衛兵達を呑み込む。

「うわっ!?なんだ!!目が見えない!!」

「と・・止まるんじゃない!!」

 闇に包まれた衛兵達は瞬時に光を奪われ、その場で立ち止まってうろたえる。

 後ろから押してくる衛兵達にもみくちゃにされながらも、目の見えない奴らは動くことが出来ない。

 奴らは混乱の渦に呑み込まれた。

 そうしている間にマイケルとキッドは舟に乗り込み、キッドは勢いよく船上から桟橋を蹴った。

 舟が岸から離れる。

 マイケルとキッドもすぐに漕手席へ移り、オールを不器用ながらもこぎ始めた。

「クリス!そのロープをほどいて引っ張れ!」

「はいですぅっ!」

 クリスが俺の指示通りすると船の帆がばっと開いた。

「おい!テイファ向かい風だぞ!!」

「問題ない。まぁ見ていろ!」

 キッドの言うとおり風向きはこちら側だ。しかし帆の向き、船体の進行方向の調節をしてやれば向かい風でも舟は走るのだ。

「マリア!クリス!帆の向きを変えるぞ!2人でそこのハンドルを俺が言いと言うまで左側に回せ!」

「はっはいっ!」

 クリスとマリアがハンドルを見つけて必死に回す。その間に俺は舵をきり、適切な角度へと舟を向けた。

「こ・・これは・・!?」

「なんだ・・軽くなったぞ。」

 必死にオールを漕いでいたマイケルから声が上がる。キッドも同時に声を上げていた。

 漕ぐときの抵抗が減っているのだ。舟は風を捕まえ、徐々に速度を速めていった。

「キッド、マイケル。風に乗ったからもう漕がなくていいぜ。」

 岸の方を見ると衛兵達が慌てて別の舟に乗り込み、舟を2艘出していたがいたがもう遅い。

 航海術を知っている者などあの中には早々いないだろう。

 いたとしても上官が指揮を執る限り、彼等の知識は生かされない。

「おおおお。はええはええ!」

 キッドはオールを漕ぐのをやめ、スピード感に興奮しながら湖面を眺めた。

「それにしても・・向かい風で舟が進むなんて・・。」

「へへへ。船旅ってのもなかなか奥が深いんだよ。

 みんな、岸に着くまで少し休んでな。一暴れして疲れただろ?

 これからが大変になるから休めるときは極力休め。」

 完全に追っ手も引き離すことが出来た。陸に着くまではもう心配あるまい。

「んじゃわるいけどそうさせて貰おうかな・・。」

 キッドがごろりと甲板上で横になる。

「マリアちゃん。君も休んでおけ。魔法結構使って疲れているだろう。」

「あ、はい。それでは失礼して・・。」

「少しだけお休みなさいですぅ。」

 マリアはそう返事をするとマストの根本に座り込んだ。マストを挟んでクリスも座り込む。

 やがて数名分の寝息が聞こえ始めた。

(今回は完璧なまでに上手くいったが・・)

 俺は舵を取りつつ考える。

(今後は街道も使えない上、村や町にも立ち寄れまい。

 ウェンレーティンも本気で追ってくるだろうし・・。これからがこの逃避行の幕開けだな。)

 ふと見上げると山の端が徐々に明るくなってきていた。 



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