ウェンレーティンの
野望編

第二十三章
潜む影


 森に入って数日が経っていた。

 木々をよりわけて進むため距離的には大して進めていない。

 俺はきっちり街道と平行して進めるように先頭を行くキッドに指示を出す。

 昼過ぎになるとキャンプを張り、狩りへ出る。

 薪を採集し、食えそうなものを辺りで探し回るのだ。

 こうして集めた食材と、不足分を携帯食料で補って食いつなぐ日々が続いていた。

「お。今日はご馳走だねぇ。」

 並べられた獲物を目にしてキッドが声を上げた。

 今日採ってきたのは野草の束とキノコが一株、それに牛蛙が二匹付いていた。

「今日は虫さんはいないんですね・・。」

 心底ほっとしたようにマリアが溜め息をついた。

 虫さんというのは木の中に生息する昆虫の幼虫のことで、ここ数日割とお目にかかっていた物だ。

 木の根やキノコ類、そして野草や虫など、携帯食料が美味しく思えるほどの食生活だ。

 早くもマリアやクリスには疲れの色が見え始めていた。

 そんな折りに今日は牛蛙がとれた。蛙は焼いて食うと結構美味しく食べられるもので、今の俺達には大したご馳走だった。

 皆で手分けしての調理作業が始まった。

 俺とキッドで蛙を一体ずつ解体し始め、マリアとクリスで野草を食べやすいサイズに切る。

 マイケルは火起こしだ。

 火打ち石を使い、地道にやる火起こしは非常に手間がかかる作業である。

 火を起こし、材料の用意が整うと、野草とキノコを鍋に入れ、スープを煮込むことになった。

 マイケルが所持してきた塩や胡椒などで味付けをし、煮込んでいるとなんとも言えぬ香りが辺りに立ちこめてくる。

 ”美味しそう”と言えるようなものではない。

 常人ならば明らかに拒絶したくなるような香りだ。

 そして皮を剥いだ蛙を即席で作った串で刺し、直接火であぶる。

 やがて肉の焼ける香りが辺りに広がった。

「今日の夕食は幾分、食べやすそうですね。」

 マイケルはおたまでスープを混ぜながら穏やか微笑みを浮かべている。

 やがて出来上がったスープをマイケルが盛りつけて皆に配った。

 蛙もそれぞれに分配され、それぞれ食い始める。

 ものがものだけに食の楽しみと言うものはほとんどない。

 救いの蛙様を皆スープに入れて味を誤魔化そうとしていた。

「あの・・。テイファさん。」

 俺がスープをすすっているとクリスが遠慮がちに声をかけてきた。

「ん?どうしたんだ。」

「後・・どれくらいでマイクさんの家に着くんですか?」

 クリスにそう聞かれ、俺は安全圏までの距離などを考えて割り出す。

 街道を使えば一週間くらいで行ける距離だがここを抜けるとどう早く見積もっても倍はかかるだろう。

「ま・・あと二,三週間って所かな。」

 答えを聞いたクリスは目をまん丸くして俺を見つめ返した。

「に・・二,三週間も・・。それじゃ・・間に合わないですぅ〜。(>_<)」

 クリスはそう言うとうろたえて俺に詰め寄った。

「大丈夫だ。期限に遅れたからといって状況が状況だし仕方ねぇだろう。

 街道から行けば結局ウェンレーティンの連中の邪魔が入って同程度時間もかかるだろうし、危険性が高いんだ。

 しかしこのルートは奴らに見つけることは出来まい。ゆっくりでも確実に届けられればあいつも文句は言わないはずだ。」

「そ・・そうなのですか・・。」

 クリスは俯くとそれ以上は何も言ってこなかった。

 森に入ってからと言うものの、日増しにクリスの元気が無くなってきているように見える。

 これだけの鬱蒼とした森の中を道を切り開きながら進むっていうのだから無理もないかも知れない。

 しかしカストリーバ下水道ではケロッとしていたクリスがここでこんなにも早く参ってくるとは少し意外だった。

 卓越した肉体能力を持ってはいると言ってもやっぱり女の子か。

 後の行程・・耐えてくれればいいが・・。

 

 

 その夜。

 この日も交替で見張りを立て、順番で眠っていた。

 今、俺とマリアが見張りに立っている。

 マリアも疲れが大きいらしく、時折睡魔に負けて居眠りしては、ハッと我に返って辺りを見渡すという行為を繰り返していた。

 俺は火を絶やさぬように薪をくべながら周りに殺気が無いか注意を張り巡らせる。

 今のところ殺気はない。

 森に入ってから道無き道をひたすら進んできたので追っ手が追いつく心配はない。

 しかし場所が場所だけに野生の動物などに襲いかかられる危険性は大いにあるのだ。

 警戒を緩めるわけにはいかない。

 マリアが半寝状態なので俺が見ているしかなかったのだが、そんな折りに俺は何者かの視線を感じたような気がした。

 しかし辺りにはそれらしい気配は全くない。

 俺は全神経を集中させ、気配を探る。

 そしてマリアを揺すって起こした。

「ふぁ・・?あっ・・テイファさんわたし・・。」

「しっ・・。」

 びっくりして謝ろうとするマリアを制し、俺は先程感じた視線を探し続けた。

 しかし気配はない。

“ど・・どうしたのですか?“

 俺の尋常そうにない雰囲気を察知したのか、マリアは小声でボソボソと訊いてくる。

”何かの視線を感じたような気がした。皆を起こせる用意を整えて置いてくれ。”

”えええっ!?わっ・・わかりました。”

 マリアは緊張した顔つきで辺りをキョロキョロ見回す。眠気はいっぺんに吹き飛んだようだ。

 しかし・・。

 一体何者が近付いていたのだろうか。この俺に悟られないように気配を消し、隠れ通せるとはな。

 気のせいとも思えるような微かな視線だった。

 だがこれを『気のせい』で片付けてしまうことの危険性は極めて高い。

 俺は弓と矢を手元に用意して迎撃体勢を整えた。

 

 

 夜が明けた。

 結局謎の視線は動きが無いどころか、全く気配すら見せなかった。

 やはり気のせいだったのか。

 釈然としないまま夜が明け、俺とマリアは手分けして皆を起こしにかかった。

 程なくして皆が起きるとすぐに昨夜の妙な視線の事を皆に伝えることにした。

「皆、昨夜俺とマリアが見張っているときに一瞬だが妙な視線を感じた。

 一瞬感じただけでその後気配すら現さなかったが・・。」

「視線?獣か何かじゃないのか?」

「わからない・・。気のせいも知れないが。」

「ふむ・・。」

 キッドは頷くと周囲の気配に注意を向け始める。

「今は・・それっぽいのは・・」

「今はないよ。」

 マイケルがふーむと考え込む。

「追っ手・・でしょうか。」

「それはないだろう。俺達の足取りをこんなに迅速に掴める奴らなんざ衛兵連中の中にはいまいよ。」

「これだけ苦労してこんな道を来て追いつかれたんじゃたまらねぇわな」

 そう言ってキッドが笑う。

 結局そのまま朝食の用意に取りかかった。

 昨日集めた食材をそのまま鍋にかける簡単なものだ。

 火に薪を足し、火力を上げて鍋を火にかける。

 寝起き顔でキッドがぼぉ〜っと鍋を見つめている。

 辺りでは小鳥がさえずり、これと言った獣の気配もない平和な朝だった。

 その後キッドとマリアにキャンプの番を任せてマイケルとクリスで水汲みに出かけ、俺は薪集めに出た。

 

 俺は1人、森の枯れ枝などを集める。

 しかしこういう作業をしているとつくづく今の体は不便だ。

 手も短いし細いし力も無いしで満足に物を運べない。

 薪自体は手際よく集めていくのだが男だったときの半分の量すらも集まらないまま許容量を超えようとしていた。

 カツン・・。

 そのときだった。

 何処かでそんな音がした。

 俺はある予感がして薪を捨ててとっさに身を屈めた。

 すると音がした方向とは別の所から何かが飛んできた。

 それはさっきまで俺の頭があった位置を何かが通り抜け、背後の木に刺さった。スローイングダガーだ!

 俺はすぐにその場から横へ跳んだ。そのまま森に紛れるように走る。

 すると俺を追うように次々とダガーが地面に刺さっていく。もしかして昨日の視線の主だろうか。

 何者かはわからないが相当な実力者だ。

 俺に隠れているのがばれたのを悟って敵も俺を追い始めた。

 黒装束の男が木から木へ猿のように飛び移り俺の先へ回ろうとする。

 忍者か・・面倒な敵だな・・。

 俺は天王の剣を抜き、戦闘態勢にはいる。剣を手にすると剣の魔力が俺に流れ込み、それは今の肉体の限界を超えた能力を引き出した。体が活性化する。

 目の前の敵は1人。こいつ、まさかウェンレーティンの追っ手か!?

 考える間もなく敵の攻撃が俺を襲う。

 木の上で転々と飛び回り、ダガーを投げてくる。

 飛来するダガーの勢いは鋭い。そして一度に数本投擲することによって逃げた先にも跳んでくると言う寸法だ。

 しかしそんな攻撃に引っかかる俺ではない。俺は奴の狙ってくる位置を読み、木々を盾にして奴の攻撃を躱していく。

 射線になんとか俺を捕らえようと飛び回る敵。しかし俺は木を巧みに利用し捕らえさせない。

 暗殺を行うのに格好なこの地形が今は俺に味方をしている。

 敵は小手先の戦術が通用しないとわかったのか、俺が木の陰にはいると攻撃の手を止めた。

 敵はその場にとどまり、木の影に隠れたまま睨み合いになった。

 お互いに動かない。いや動けない。

 奴は俺が痺れを切らせて木から飛び出すところを狙っている。下手に動くとそこを狙われるのは目に見えている。

 しかし動けないのは敵も同じだ。

 俺を追い詰めた絶好の好機。この絶妙な均衡の中で奴は俺が痺れを切らして動くのを待っていればいい。

 奴は忍者だ。こうした『待ち』に対する訓練も当然受けているだろう。

 生と死の狭間の根比べ。この睨み合いは長引きそうだ。

 と、ここまでは経験を積んだ冒険者ならば考えつくだろう。

 俺は相手に見えないようにこっそりしゃがみ込んだ。その時前方の木の上からヒュンっと音がした。そら来た!

「あぐぅ!?」

 俺は声いっぱいに悲鳴をサービスしてやった。出来うる限り意外そうに。何が起きたかわからぬままに死んだように。

 俺の悲鳴と同時にしゃがんだ俺の頭上に矢がドカカッと突き刺さっていた。

 俺の声で木に突き刺さった音は随分とかき消されたはずだ。

 矢は丁度俺の眉間、喉、心臓があった位置に刺さっていた。あたっていたら致命傷は避けられない急所ばかりだ。

 本気で俺を殺る気らしい。

 奴は飛び回りながらいくつかのトラップを仕掛けていたのだ。敵の視線を自分に集中させて、こうした罠で脇から殺す。

 あの間にこれだけの罠を仕掛けられるとは・・。

 間違いなく相手はA級の忍者だ。俺でなかったらそれで殺れただろうが生憎俺様には通用しねぇ。

 俺はこっそりウルバックから吹き矢を取りだした。狩猟用に持ち歩いている物だがこういう場面では非常に役に立つ武器だ。

 矢に毒を塗り構える。

 敵は慎重に警戒しながら木の上を移動する。俺の死体を確認するために用心深く、慎重に俺が視界に入る位置に。

 そしてその位置とは俺の視界に敵が入る位置でもあった。

 奴が俺を視界にとらえたとき、俺は吹き矢を放っていた。

「!?」

 木から男がゆらりと落ち、受け身もとれずに地面に叩きつけられた。

 奴は絶命していた。俺が放った吹き矢は奴の眉間を貫いていた。

 まずは1人・・。

 しかし俺は警戒を解かず、次の敵影を探し始めた。

 そう。最初に聞いたカツンという音。

 あの音は今の忍者野郎が居た方向から聞こえた物ではなかった。

 まだ何者かが潜んでいる可能性が濃厚だ。

 しかし姿も気配もない。

「仕方ない。ここは一旦合流して警戒に当たるか・・。」

 俺は散らばせた薪を拾い集め、仲間の元へと急いだ。

 

(危ういところでござった・・)

 男は森の影で息を潜め、走り去るテイファの背を見送っていた。

 テイファの気配感知能力は群を抜いている。

 しかし先程の彼女は完全に油断していたのだ。

 彼がきっかけを与えなければ、最初の一撃目でテイファは敗れていただろう。

(テイファ殿・・。)

 男はここで拳を握りしめ、天を仰ぐ。

(くううぅうぅぅぅ〜!やはり完璧な名でござるな。テイファ殿ぉ〜。)

 男は目に涙さえ浮かべながら酔いしれる。

(テイファ殿・・。今度の敵、ウェンレーティン侯爵家お抱えの特別諜報部隊、『黒の団』は相当厄介な敵でござるぞ・・。

 斥候の1人が殺られたとなると次は恐らく本隊が出てくるでござる・・。

 今回は拙者の出番も多くなるやもしれぬでござるな・・。)

 男は一つ頷いて跳んだ。

 そしてその姿はもうどこにも無かった。



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