ウェンレーティンの
野望編

第二十八章
ストール川

 

 取りあえずクリスの状態は快方には向かないものの、悪化の一途を辿ることもなく小康状態を保っていた。

 俺達は急ぎ、下山をしている。

 しかし下りの山道と言うのは登るときよりも厄介だ。

 足を踏み外すと即落下に繋がるので慎重に道や足場を選ばねばならず、意外と時間がかかるのだ。

 まして人一人背負っての下山ともなれば…。

 そう思っていたのだが、クリスを背負って先頭を歩いているキッドは実に軽やかに下山を続けていた。

 俺はマリアに付き添って最後尾からキッドを追っているが、早い早い。

 マイケルも必死についていくのがやっとのようで、言葉を発する余裕すらない。

 それに比べキッドは後ろの俺達の進み具合もちょくちょく確認する余裕っぷりだ。

 キッドがこれ程山道に慣れているとはちょっと予想外だった。

 まぁマイケルはこれを見越してクリスを託したんだろう。

 このペースで行けば夜には下山できるかも知れない。

 そこまではほとんど何の心配もないだろう。

 だが問題はそこからだ。

 この山の下を流れるストール川。ウェンレーティン側としてはここは越えられてはならない一線の1つだ。

 そこから先はトリスタン王家直轄領となり、公的権力を使った追跡が不可能になる。

 そして万が一直轄領の役人に覇王の槍のことを知られたらウェンレーティンの野望そのものが王家に露呈するようなものだ。

 だから奴らはここを絶対防衛圏として強固な防衛網を張っていることが予想される。

 まず、橋は使えないだろう。

 ストール川は結構川幅の広い大きな川で、向こう岸まで軽く20メートルくらいある。

 流れはそれほど速くはないが水深が深く、人を背負いながら泳いで渡れる川ではない。

「テイファさん。」

 俺がこれからのことを思案しているとふとマリアが声をかけてきた。

「ん?どうした?」

「あのですね、その、マイクさんという方のお住まいというのはどのあたりにあるんですか?」

 キッドの下山ペースに少し息を乱しながらマリアは疑問を口にした。

「ああ、あの男の家はトリスタン市のはずれにある。南門から歩いて数時間って所だよ。」

 トリスタン市南城門から伸びた街道の途中に脇道の入り口に、ご丁寧にも『無敵の冒険者マイクの家』と書かれた案内板が設置されていて、その後分かれ道がある毎に案内板が設置されている。

 まぁ迷う奴はそうそう居まい。

「……間に合いますよね。」

 マリアはちらりとクリスに視線を向けて呟いた。

 あそこまでは保つまい……。

 俺はそう思ったが口には出さないことにした。

 

 

 当たりが暗くなり始める頃、俺達は山の麓に広がる森林地帯へ到達した。

 今居る森を抜けると川までは木もまばらな草原地帯にはいる。

 広く見通しの良いこの草原地帯は逃げる立場の俺達にとっては難所だ。

 障害物のない草原だと騎馬による追跡も容易になり、逃げる側は隠れ場所もない。

 それを乗り越えてやっと川に着けるのだ。

 キッドは森の中で足を止めてそっとクリスを下ろした。

 俺達も続いて荷物を下ろす。

 あの平原を越え、川を渡るには準備が必要だ。

「……奴らどうかな?」

 キッドは木に身を隠しながら草原の方へ目を凝らす。

 俺も同じように見てみると、草原ではトリスタン王国正規軍の訓練が行われていた。

 その数、数千にも登るだろうか。

「この平原はウェンレーティン家指揮下の正規軍を中心に各地の正規軍が日頃から訓練に使っています。

 今回はおそらく訓練兵達も使って我々を待ちかまえているでしょうね。」

「あいつ等全員敵に回る訳か……。」

 軍隊の強さとは全軍の統制が取れているかが一番重要になってくる。

 トリスタン軍の強さはこうした内地での徹底的な訓練で培われるものだ。

 新兵を内地で集団戦闘訓練させ、統制が取れるようになるまでみっちり仕込まれる。その後初めて前線へ配属されるのだ。

 その為内地にはこうした訓練地がいくつも設けられ、次々に新兵達が送り込まれてくるのだ。

 ここもそうした訓練地の一つだった。

「くそ…。こっちは一刻を争うってのに…!」

 ここまでを無事に切り抜けては来たが更に困難は続く。

 次から次へと絶望的とも言える状況に置かれ、皆のイライラは募るばかりだ。

 そして息も絶え絶えのクリス。

 クリスの身ばかりを案じられる状況ではないが、相変わらず体温は異常に低く、意識も朦朧とした状態が続いている。

「ここまで来たはいいですが……。ストール川を越えるのは非常に困難ですね…。」

 目の前の軍隊を突っ切って、俺達は逃げなければならない。

 しかし敵は数千、こっちは死にかけのクリスを含めても5人。

 見つかればまず逃げられまい。

「テイファさん、どうしましょう?私達、ここで捕まるしかないんですか・・・?」

 目を潤ませながらマリアが俺にすがりつく。

 そのマリアの声に釣られてか、マイケルやキッドも俺の方へと顔を向けた。

 その目には俺ならばこの打開策があるのではないかという、期待の気持ちがありありと写っていた。

 俺はその視線に、ある危機感を憶えた。

 ゲルマの一件以来このような危機的状況に陥ると全て俺が打開策を提示し、危機を乗り越えてきた。

 その為か俺はこいつらにすっかり頼り切られる存在となっていたのだろうか。

 はっきり言って好ましくない状態だ。

 こいつらはこのまま俺ばかりに頼るようになると、一流冒険者としての成長は望めなくなるだろう。

 自ら危機を乗り越えられる力がないようではいかに腕っ節だけが強くてもそれは三流だ。

 こいつ等をこんな風に追いやったのは他ならぬ俺自身。危機が訪れる度に俺が出張りすぎた。

 このままではいかん。

 しかしこの状態を何とかしたいのは山々だが、今は生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているのも事実だ。

 はっきり言って今回もこいつ等のレベルを超えている。

 しかも失敗は絶対に許されないのだ。

 今回は仕方ないのか…と、そう思ったときだった。

 キッドがブンブン首を左右に振り、打開策を考え込み始めた。

 その様子を見たマイケルも、はっとしたように俺から目を逸らして打開策を練り始める。

 こいつら、俺の考えを見透かしたのか?

「……筏を作ろう。」

 やがてキッドがぽつりと提案した。

「筏…ですか?」

 マイケルが即座に問い返すとキッドは力強く頷く。

「筏と言ってもこれだけの人数が乗れるものをあの川まで運ぶのは無理だ。

 テイファのポーチが載せられる大きさの物を組んでクリスはポーチに入って貰い、後の4人は筏を押して泳ぐんだ。

 これなら筏も小さくて目立たないし、この上夜ならばそうそう見つかるまい。」

 キッドはストール川渡航策を提案した。

 橋が使えない以上、川を渡るには泳いで渡るしかない。

 病人であるクリスのことを考えるとなかなか合理的な案だ。しかし…。

「いえ、夜は返って危険です。キッド。」

 キッドの案をマイケルが遮った。

「私がウェンレーティンの司令官の立場にあるならば、夜こそ厳重な警戒を敷きます。

 あの平原に昼間にのこのこ出てくる逃亡者など、まず考えられませんからね。」

「う…。それもそうか。」

 頭を掻きながら苦悩するキッド。

 キッドとマイケル二人であーでもない、こーでもないと議論を始めた。

 キッドもマイケルもは俺に頼り切るのを潔しとせずに、自分たちで必死に打開策を探し始めた。

 どうやら俺の心配は杞憂に終わったようだ。

 それでいい。

 今回はこいつ等がどうしても答えに行き着けないときまでは見守ろう。

 キッドとマイケルの議論は続く。

「んじゃあれだ。カストリーバの時のように暗闇の魔法で…。」

「今度は恐らく魔術師達も配属されていると思います。魔術師にならば暗闇の方から発する魔力を感じ取る事も出来るはずです。その手も危険だと思います。」

「ぐぬぬぬ……。」

 キッドの更なる案がまた一蹴された。

 必死に思い悩むキッド。その反面マイケルはいたって冷静だ。

「迂回している時間はもう無いんだぞ!しかも上流は切り立った山に入ることになるし下流の方は舟の交通の要所になって泳いで渡るのは不可能だ。第一そっちの港も抑えられていたら…。」

 キッドは手近にある木を殴りつける。

「くそっ!打つ手無いじゃねーか!!」

 重苦しい沈黙。

「仕方がない。こうなったら少し引き返してクリスを医者に診せよう。

 危険だがこっちよりはましだろう。とにかく早く診せてやらないと…。」

「キッド、それも無理です。恐らく我々には賞金がかけられています。医師の住むような大きな街ではもうおふれも回っているでしょうし危険すぎます。」

「じゃあクリスを見捨てろって言うのかよ!」

 キッドは掴みかからんとばかりの勢いでマイケルに詰め寄った。

「いいえキッド!まだ何か手があるはずです。諦めてはいけません!」

 マイケルはキッドに臆することなく声を荒げた。

 睨むようにキッドの目を見るマイケル。

「そうだ・・・な。」

 熱くなりかけたキッドはマイケルの一睨みで冷静さを取り戻した。

 キッドはどかっと地面に座り込み、再び思考を巡らせ、マイケルは立ったまま思考を再開した。

 暫く様子を見るもこの2人から何か妙案が出てきそうな気配はない。

 マリアの方をちらりと見てみると、彼女も「うーんうーん」と声に出しながら策を考案しているようだ。

 

「あ…あのぅ…。」

 俺がマリアの様子を見ていると、俺の視線に気付いたマリアはもじもじと口を挟んだ。

 皆がマリアに振り返る。

「カストリーバの時にやった帽子作戦はダメでしょうか・・・。」

『帽子作戦?』

 マイケルとキッドが同時に突っ込む。

「ああ。カストリーバで追っ手につけられているのに気付いたときにな。

 追っ手を撒く為に髪型変えて帽子屋の店先で物色し、市民に紛れてやり過ごしたのさ。」

「カストリーバ脱出・・・。そうか・・・。あの時みたいに変装し、別れて行けば・・・。」

 キッドは俺の応えを聞くとはっとしたように声を上げた。

 意外なところから意外な突破口が提示され、キッドは木の隙間から橋の方を眺める。

「ちょっと待て・・・よく考えてみたら・・・ああそうだ!!

 橋から合法的に渡れるかもしれん!マリア、よく言ってくれた!」

 キッドは突破口となる妙案を閃いたようだ。

 よほどいい手を思いついたのか、少し興奮しながらマリアの頭をくしゃくしゃに撫でた。

 力が強すぎてマリアは頭がかっくんかっくん揺さぶられる。

「はわわわわ〜キッドさん、痛いです〜」

 マリアは目を回しながら悲鳴をあげるマリア。

「ああ、わるいわるい!」

 キッドは、ははははと笑いながら謝りながらも撫で続けた。

 しかし盛り上がるキッドを尻目に、マイケルは相変わらず渋い顔をして考え込んでいた。

「変装して堂々と渡るのですか?しかしそれはあまりにも危険すぎる・・・」

 そう呟くマイケルの危惧はよく解る。

 この場合、真っ正面からのこのこと橋の方に向かうことになるわけだから敵との接触は避けられない。

 ばれたらその時点で取り押さえられて捕まるだろう。

「でもあれを見て見ろよ。」

 そう言ってキッドは橋の方を指した。

 橋の所ではちょくちょく旅人達が訪れ、検問らしき物を受けた後に向こう岸へと進んでいく姿があった。

「警戒体制下にあると言ってもあの街道は結構人通りあるんだ。

 人数についてはテイファのウルバックか別れて行くかで誤魔化しは利く。

 なによりあれだけの人数一人一人に似顔絵を回すのは無理だ。

 相手もまさか真っ正面から来るとは思わないだろうし、旅人に紛れればやれるんじゃないか?」

 キッドは自信たっぷりな口調だ。

 もうこれしか手はないと、これこそが会心の策だと考えて居るんだろう。

 着想は悪くない。俺も同じ手を考えていた。

 後は最後の詰めさえ整えれば恐らく安全に橋を渡ることが出来る。

 この男はそこに気付くかな…?

「ふむ…。しかし敵は荷物の検査も行っています。恐らくはそこで覇王の槍を探しているはず。それをどう切り抜けるのです?」

 早速突っ込みを入れたマイケルのこの疑問こそが最後の詰めの部分だ。

 これをパスできない限りこの策で乗り込んでも安全に橋を渡る事は出来ない。

「そう、まさにそこだよな?そこなんだがなぁ・・・?」

「勿体つけずにさっさと言え。」

「おうぅっ!?」

自慢げに胸を張るキッドのマヌケ面に一発チョップを入れてやる。

「痛いよテイファ・・・。」

 奴は涙目で鼻を押さえるが、皆の沈黙に圧されて姿勢を正した。

「それでだ。槍なんだが、そんなものここに置いて行けばいいだろう?」

 この男はそこに辿り着いたか。

 俺はキッドのその答えを聞き、思わずにやりと笑みを浮かべた。

「なっ…!?」

「ええええっ!?」

 マイケルとマリアが驚いて声を上げる。

「だ…だだだ…だめですよっ!それをマイクさんに届けないとクリスちゃんのお届け物が…。」

 マリアはキッドの袖口を掴んで必死に訴える。

「そうですキッド。紳士として、冒険者としてそんな無責任な事など・・・!貴方はそれで良いのですか!」

 マイケルも食い下がるがしかしキッドは全く取り合わず自信に満ちた笑みを浮かべたままゆっくり俺の方を見た。

「テイファちゃんは俺の考える意図がお見通しみたいだな。」

 キッドが俺に振ると、マイケルとマリアも釣られて俺の方を見る。

 不敵な笑みを浮かべている俺を見て二人は沈黙し、俺の応えを待つ。

「ああ。あの橋を使うにはその手しかない。今は取りあえずここに隠して後でマイクと取りに来ればいい…。そう言いたいわけだな?」

「ご名答。」

 俺の応えを聞き、マイケルもはっとする。

「そうか…。そんな手が…。

 なるほど、これならば下手に我々が持ち歩いているより発見は難しい…。

 キッド、名案です!これなら行けます!」

 遂にマイケルからも賛同の声が上がった。

「だろう!」

 キッドが得意そうに胸を張ると、すかさずマイケルが突っ込みチョップを入れる。

「いて!何すんだよ。」

「マリアの提案がなければ思いもつかなかったのに必要以上に威張るんじゃありませんよ・・・。」

「けっ、人の案を否定するだけで自分じゃなーんにも思いつかなかったくせに。」

「ぐっ・・・。私も色々と考えてはいたのですよ!?」

「やーい、負け惜しみ〜。」

 途端に低レベルな口論が繰り広げられ、それを見てマリアがくすくすと笑う。

 ともかくこれでこちらの出方は決まったな。

 残る不安要素として黒の団の奴らが残ってはいるが、まずはここを切り抜けなければ先の心配もできない。

「今日はここで休んで明日出発しよう。」

「そうですね。こんな汚い格好では怪しまれるかも知れませんし。じっくり準備を整えて出ることにしましょう。」

「はい。それでは食事の用意を…。」

 キッドの提案でみんながバタバタと野営の準備を始める。

 俺は少し安堵していた。

 今回はこいつ等が突破口を開いたのだ。



『くくくく・・・・。なかなか見事な策だな。』

    !!

 だ・・・誰だ!?

 どこから、そしていつから聞いていた!!

 俺達全員の表情が瞬時に凍った。

 この俺に・・・・、

 この俺様に見つからずに潜んでいただと!?

 やがて木の上から黒装束の男が1人降り立ち、にやりと笑みを浮かべた。

 覆面の上からでも笑っていると言うことがわかる。

 だがそれは限りなく冷たい表情だった。



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