ウェンレーティンの
野望編

第三十六章
マイク島の決戦


 俺達はマイク小屋に向かって一目散に走っていた。

 迂闊だった。

 まさか最後の最後にこんな所で網を張って待っていようとは。

 まともに殺り合ってもまず勝機はない。

 キッドとマイケルは先の戦闘で受けた傷を抱えたままだし、俺自身もひ弱な体がずっと悲鳴をあげ続けている。

 マリアは既に自分で走ることも出来ぬくらいに疲労し、キッドに抱きかかえられている始末だ。

 ならばどうやってこの危機を乗り切るのか。

 もう俺達に残された選択肢は多くない。

 このまま自棄になって正面から相対し、壮絶な最期を遂げるか。

 あるいは自らも巻き込まれるのを覚悟して、この島に仕掛けられたデス・トラップを発動させるか。

 

 ハイマスターであるジョニーでさえも尻込みすると言うマイクのデス・トラップ。

 それがどんな物であるかまでは知らないが、こっちにはあいつの知り合いであるクリスもいる。

 デス・トラップを統括しているのが奴の使い魔などであれば、これを味方に付けられる可能性は高い。

 危険な賭だがやるしかない。

 しかし俺はこの賭けには勝てるだろうと確信していた。

 後ろを見れば忍者達は既に100人超の規模に膨れ上がり、俺達を追い始めていた。ゆっくり、焦らすように。

 極度の緊張と極度の疲労のせいか、この間誰も一言も発しない。

 俺達は辺りに散らばる白骨死体にも気にとめる余裕も無く、ひたすら奴の住処である小屋を目指した。

 程なくして高さ10メートル近くある石製の日時計の傍らに立つ、ボロっちい木造の小屋が見えてきた。

 くそっ!この短い距離を全力で走るだけで太股の筋肉がブチ切れそうだ。

「おっ・・・おい!あれ・・・!!」

 キッドが指した先には女が一人、俺達を見つめて立っていた。

 先程までその場所には誰もいなかった。

 そう。確かに誰もいなかった空間に突如として女がふっと現れたのだ。

 マイクの小屋の前。うっすらと微笑みを浮かべて佇む、おおよそ冒険者の住処と言う無骨な小屋とは不釣り合いの清楚な女。

 まず印象的なのが燃えるように美しい赤い髪。

 腰まで届こうかと思われる髪は風に吹かれるままに空を漂い、毛先からキラキラと光がこぼれてきそうな神々しさ。

 透き通るような白いドレスに身を包んだその幻想的な姿はまるでおとぎ話に出てくる妖精のようだ。

 そして隠していても俺には解る内包された魔力は、彼女が人間以外の者であることを如実に示していた。

 しめた。こいつなら話は通じる!

 彼女は俺達に微笑みかけるとスカートの裾をつまみ上げてふわりとお辞儀をした。

 その様はまるで重みがなく、そのまま空中に浮かび上がりそうな錯覚を憶えるほど優雅なものだった。

「無敵の冒険者、マイクの家へようこそ。」

 彼女はお辞儀した姿勢のまま、とても澄んだ美しい声で俺達を迎えた。

 あまりにも緊張感のない彼女の応対にキッドとマイケルは思わず立ち止まり、軽く会釈する。

「申し訳ありませんが只今マスターは外出中でお会いすることが出来ません。ご用件を承りますのでどうぞ。」

 そう言って女性はにっこり微笑んだ。

 よし。では早速用件に入ろう。

「俺達は魔道士、ヴァーン・ハールの遣いであるクリスティーナ・ルブライの同行人だ。クリスとヴァーン・ハールの遺言状を・・・」

「悪い、話は後だ!テイファ、俺とマイケルで時間を稼ぐから彼女とマリアを連れて小屋へ急いで!」

 俺がそう言おうとすると、キッドが突然割って入って来た。

 ちょっと待て!お前らどういうつも・・・!

「テイファ!クリスを御願いします!」

「え?おい!」

 マイケルは俺が問いただす隙も与えず、いきなりクリスの入っているウルバックを俺に押しつけた。

 ただでさえ腿の肉が引き千切れかかっている俺はその重みに耐えきれず、無様にも尻餅をつく羽目になった。

 その横でキッドがそっとマリアを降ろし、愛用のハンドアクスを手に取った。

 こいつらまさか!

「おい!こら、ちょっと待て!」

 必死に呼びかける俺に奴等は一瞬微笑みかけ、即座に敵の方へ振り返って臨戦態勢を取った。いよいよ忍者達が武器を抜いてじりじりと迫ってくる。

「今の疲れ切った君たちじゃあ、あいつ等は相手に出来ない。ここは俺達に任せて下がっててくれ!」

 キッドが気遣わしげに声をかけてきた。それが俺の癇に障る。

「テ・・テメーら!!」

 俺は怒声をあげていた。馬鹿かあいつ等は!ヒーロー気取りで命を捨てるつもりか!?それに俺はまだ戦える。いやここで踏ん張らないとお前らだけじゃこの難局は乗り切れない!!お前ら2人でどうするつもりだってんだ!

「テイファ、立ち上がることすらままならない状態で何が出来ますか!?大人しく従って下さい!」

「えっ・・・・?」

 そう言われてしまって初めて、俺は自分の足にもう力が入らないことに気が付いた。

 どう踏ん張ろうとしても立ち上がることが出来ない。

 そんな馬鹿な!冗談じゃないぞ!!

 あの野郎、それが解っていて俺にウルバックをよこしやがったのか!

「くっ・・・・!」

 心底口惜しかった。

 この女の体が忌々しい。何故この大事なところで動かなくなるんだ。

 見てみれば足がガクガクと震えている。それはまるで足が反乱を起こして俺を嘲笑っているように見えた。

 俺は足を睨みつけて歯を食いしばった。

「テイファさん〜。」

 そんな俺に涙声のマリアが俺のマントの裾を掴んですり寄ってきた。

 その青ざめた顔は疲れによるものでなく、あの敵を前にした恐怖から来るものだ。

 俺はマリアの肩を抱き寄せて、少しでもマリアが安心できるように努める。

 前を見上げると勇壮に立つ2人の男。

 自分達の実力を越える難敵100人超を前に、2人は臆す様子はない。

 それどころか2人は何かに高揚し、笑みさえ浮かべていた。

 そんな二人の姿を見て思わず溜め息が漏れる。

「ちっ・・。本当にヒーロー気取りになってやがるなあの2人。」

 俺はぼそりとそんな独り言を呟いていた。

 男に生まれ、戦士として育ち、英雄とも勇者とも呼ばれてきた俺には今の2人の高揚感がよく解る。

 男って奴は護るべきものがあれば燃え上がるものだ。

 しかしこの俺様をそんな対象に持ち上げるってのは許し難い屈辱。

 世界最強であるこの俺様がたかだかBクラス冒険者風情にここまで見下されて何故黙っていられるか!

 第一この俺様は女ではない!

 今はこんなだらしない姿になっているが、本来の俺ならばこの程度の忍者軍団ぐらい5分もあれば十分に片付けられるのだ!

 二人の気遣わしげな、そして何よりこの俺を諭そうとする真剣な目が俺様を射抜く。

 その視線が俺様の逆鱗に触れる!

 ええい!!そんな目で俺を見るな!!


『こんの大馬鹿があぁぁ!!』


 俺様の深層心理中に突然かつての俺の姿が浮かびこの俺様を一喝した。

 その怒りの形相、聞こえるはずもない声の声量、そして岩に根を張る巨木をも根こそぎ吹き飛ばすような圧倒的な威圧感。

 その声と威圧感だけで巨大な竜巻に吹き上げられるような寒気に襲われた。

 それは圧倒的な恐怖。

 その一喝だけで消えてしまった俺は、熱くなっていた俺を一瞬のうちに現実へ引き戻していた。

 そうだ・・。

 この俺はあのゴンザレス・ゴンゾーだ。

 世界最強を自負する超絶無敵冒険者ゴンザレス・ゴンゾーなのだ。

 その俺がこんな事でどうする!?

 確かにあの2人の行為は俺様にとって許し難い屈辱だ。

 だが事実として今の俺はあいつ等が据えたこの場所に堕ちてしまっている。

 いや、あいつ等が据えたんじゃない。あいつらはただ俺に今立っている位置を教えようとしただけなのだ。

 そうだ。マイケルの言うとおり俺には既に立ち上がる力さえも残されてはいない。

 猛烈に悔しいがまずそこは認めなければならない。

 それは何たる屈辱か!

 だがしかしだ!

 今この俺が過去の栄光や自尊心に固執して冷静さを失ってどうする!

 冷静になれ。

 この俺がゴンザレス・ゴンゾーならば。


 冷静になれ。

 誰よりも冒険者として優れている最強の男なのならば。


 冷静になれ。

 今ここであいつ等の足を引っ張る事だけは絶対に許されない!!!


「ふうぅ・・・。」

 俺は俯き目を閉じて、全てを吐き出すように深い深い溜め息を一つ吐いた。

 深く、熱い溜め息。

 見上げると戦意に満ちあふれた2人の目。

 この屈辱的な事実を受け入れる決断を下した俺を見て、2人はほっとしたように笑みをこぼした。

 今はそんな2人が眩しく見える。

 もしあいつらがここで生き残ることが出来れば、きっと大きく成長するだろうな・・。

「・・テメーら。」

 しばらく続いていた沈黙を俺が破った。

 先程までかっと燃え上がっていた気持ちも落ち着き、自分でも驚くほど穏やかな口調だった。

「テメーらにどんな策があって前に立っているかはしらねーが、絶対に捨て身になるんじゃないぞ。」

 俺はすっかり覇気を無くして囁きかけるように2人に忠告した。

 奴等がどう応えるかはもう解っている。

 ほら、奴等は笑いかけて・・・。

「テイファ、格好いい男ってのはヒロインを護って死ぬ奴の事じゃねぇ。護り通して尚も護っていける奴のことを指すんだぜ?」

「ふふ。わたしも貴女方の前で志半ばで果て、格好の悪い骸を晒すつもりはありません。ご安心下さい。」

 カッコつけて余裕そうに答えるだろう?そう、解っていたさ。

 そんな俺達を先程の赤い髪の美女が穏やかな微笑みをたたえたまま見守っていた。

 動けなくなった俺に出来るのはもはや奴等に助言することだけだ。

 まずはあいつ等が抱いている大きな誤解を解かなくてはならない。

「2人とも良く聞いてくれ。俺達がこの島に逃げ込んだ限り奴らとやりあって勝てる可能性は半々って所だ。これから何が起こっても落ち着いて前の敵だけを相手すればいい。」

「は・・・半々!?」

 敵がもう近くまで迫っている為、2人は振り返らぬまま訊き返した。

「なるほど。テイファ様は私たちも戦力に数えていらっしゃるようですね。」

 今まで黙って俺達の様子を見ていた赤い髪の美女が俺にそう言って微笑みかけた。

「へへ・・。どうせ奴等みたいなのは招かざる客として処理するんだろう?」

「確かにおっしゃるとおりです。今ここに迫る者達と戦われるとおっしゃるならば、この私と島も助力いたしましょう。」

 彼女はそう言って一歩前へ進み出た。

『え!?』

 驚き思わず振り返るキッドとマイケル。

 その瞬間、彼女の魔力が解放された。

 ごっ!と強烈な魔力が放射され、辺りに突風を巻き起こす。

 彼女の髪はその風に晒され、まるで燃えるように逆立ち、なびく。

「侵入者を多数確認。これより迎撃体勢へ移行します。」

 彼女は高らかにそう宣言し、一歩、また一歩と歩み出て遂にキッドとマイケルに並んだ。

 2人共彼女から発せられる圧倒的な魔力に晒されて唖然としている。

 それは先頭に立つ忍者も同様だった。

「テ・・・テイファさん・・・あ!」

 マリアが俺に何かを訊こうとして言葉を失った。

 燃えるようになびいていた彼女の髪。

 それが本当に炎と化し、燃え盛っている!

 マリアが絶句する中、一瞬で彼女の全身が業火に包まれた。

「あ・・・ああぁあ・・ぁあぁあ・・・。」

 マリアはその様子を見て呆然と声を上げる。

「心配ないマリア。彼女はマイクが召喚した炎の精霊・・・。」

 やがて彼女は炎の中でその姿を変えていた。

「サラマンダーだ。」

 炎の体を持つ槍を手にする人間大の蛇のような姿。

 サラマンダーとは中級に位置する炎の精霊で、高位の魔術師に良く使役される有名な精霊だ。

 中級と言えどもその戦闘能力は軽くSクラスに達する。

 通常の武器は全く受け付けず、魔力の掛かった武器で対抗しても、その炎の鎧を前に近付ける人間がどれだけ居ようか。

 下手に触れれば敵を燃やし尽くすまで決して消えることがない必殺の炎に焼かれることになる。

 まぁ普通に考えて肉弾戦で人間が勝てる相手ではない。

 敵に回すと厄介な相手だが味方に付けば相当心強い存在だ。

「せ・・・精霊さん・・・・。初めて見ました・・・。」

 マリアは俺のマントの裾を掴んだまま、呆然とサラマンダーを見つめていた。

 彼女の左右に立つキッドとマイケルも、そして忍者達さえも突然の精霊の登場に驚き戸惑っている。

「迎撃体勢、レベルAAA。これより侵入者の迎撃に当たることに際し、島の機能を駆使することを許可します。」

『ラージャー。』

 彼女がそう宣言すると、日時計から低くくぐもった声がした。

 それと同時に島全域に渡って警報が鳴り響く。

 同時に島の海岸線をぐるりと一周囲うように、高さ5メートルはあるであろう炎の壁が燃え上がった!

 そして一体、また一体と島に散らばっていた白骨死体達がその身を起こし始めているではないか!!

「おわあぁあ!なんだあれはあぁぁぁあ!!」

 それを目の当たりにしてキッドが悲鳴に近い叫び声を上げる。

「ス・・・スケルトン!?あれも勇者マイクが・・・!?」

 驚くキッドやマイケルを余所に、スケルトン達は地面に埋めてあったウルバックから次々に剣を取りだし、忍者軍団に斬りかかっていく。

 その重みのない俊敏な動きは忍者達の身の軽さにも似ていた。

 しかしマイクの張り巡らせた罠がこんなもので済むはずがない。

 地面からニョキッとかわいいカメを模した石像が生えてきたかと思うと、姿に見合わぬスピードで周りの忍者達に突っ込んでいった。

 他にも小さな女の子が見たら喜びそうな2頭身のクマやネコ、カエル達もニョキッと現れ、無邪気な顔をして次々と参戦する。

 見た目はかわいいがあれは高度な魔術で構築される、ストーンゴーレムだ。

 たちの悪いことに石という固い素材で構築されている上に、あいつ等には高度なルーンシールドやシールドまで張られている。

 黒の団を構成する忍者の中でも、比較的レベルの低い忍者達には手に負える相手ではあるまい。

 さすがに正面から対峙する忍者はおらず、ゴーレムの攻撃は自体不発に終わっている。

 しかしその攻撃を避けて逃げ惑う忍者達の前に、地面に仕掛けられていた落とし穴が待ち受けていた。

 幻影の魔術を駆使して巧妙に隠された落とし穴が次々と忍者達が呑み込まれていく。

 時折鮮血が穴の上にまで吹き上がるところを見ると、穴の底は槍状のものが上を向いて並べられているのだろう。

 典型的なデス・トラップだ。

 手前に視線を移すと先頭に立っていた忍者達はサラマンダーに狙いを定め、スローイングダガーや吹き矢、弓などを使って一斉射撃を始めているところだった。

 対するサラマンダーは避けようともせずに右手を前に広げたかと思うや、そこから手のひら大の火球が発射される。

 飛来する飛び道具と交差する直前に火球は破裂した。

 耳を塞がずにはいられない爆発音。

 爆発は数人の忍者を巻き込みながら飛来した全ての飛び道具を焼き落とした。

 爆発に巻き込まれた忍者は、全身を舐めるように広がる炎に包まれていく。

 周りの忍者達もすぐに消火に当たるが、火の勢いは一向に衰えはしない。

 火のついた忍者はのたうち回ってやがて動かなくなり、消火しようとする際に不運にも引火した忍者は次々にその後を追った。

 しかもあれほどの爆発があったというのに、地面の芝生は吹っ飛ぶどころか焦げ目さえついていない。

 これが精霊の炎。まさに生きた火だ。

「す・・・すげぇ・・・。」

 キッドもマイケルもマリアもその圧倒的な魔力を前に、愕然としていた。俺から見ればこの程度の魔力、さほど珍しいものではないのだが、あの3人にとっては人智を越えた力。愕然とするのも仕方あるまい。

 忍者達が怯んだ隙にサラマンダーはキッドとマイケルの方に視線を向けた。

 するとその動きに呼応するようにキッドが持つハンドアクスと、マイケルのエストックの刀身が燃え上がった。

 突然手にする得物が炎を吹き上げるのを見て2人は驚きの声を上げた。

 フレイム・ウェポンの魔術。

 見ての通り武器に炎の魔力を宿らせてその威力を強化させる魔術だ。

 しかもあの剣に宿る炎は生きた精霊の炎なのだ。一般的なものとは比べものにならない威力を秘めていよう。

 サラマンダーは2人に何かを告げると前に迫ってきている忍者軍団へ突進していった。

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