ウェンレーティンの
野望編

第四十章
礼 品

 ヘルドリューバ宮殿。

 アルバート卿の執務室に隣接した宮殿の壮大な庭園を一望できるバルコニーにアルバート卿は立っていた。

 勇壮な美を追究した庭園は、このバルコニーから見下ろした時に一番美しく見えるような設計が成されている。

 しかし現当主アルバート卿にとって、そんなものはどうでもいいことだった。

 彼は側に執事を従えてつまらなさそうに庭園を見下ろしていた。

 アストナージに回した遺言書の解読には思わぬ苦戦を強いられ、今だ有力な手がかりは見つかっていない。

 そしてメイドの墓から見つかったとされる人形の謎。

 魔力の切れた魔晶石が埋め込まれていたあの人形にはいかなる意味が込められていたのか。

 そしてメイドの遺体は何処へ消えたのか。

 それともメイドの遺体が人形へと化けてしまったのか。

 それら全てがまだ謎のままだ。

 思うように進展せぬ事態にアルバート卿はイライラをつのらせていた。

 毎日が退屈で仕方がない。

 その時アルバート卿は、キラールの気配を屋根の上に感じ取った。

「キラールか。」

 アルバート卿が振り返りもせずに呟くと、屋根の上で気配を殺すキラールはその場で膝をつく。

「ウェンレーティン閣下。我等黒の団、この度拝命しました任務に完全に失敗いたしました。」

 報告の声は打ちひしがれ、かつての覇気を完全に失したものだった。

 それを聞いたアルバート卿は表情も変えずに、「マイク・アンダーソンか。」と聞き返した。

「は・・。あの男の居宅に仕掛けられた罠とあの男のはなった魔術により、68人が死亡及び行方不明。負傷者を合わせると戦力は80%減です。更にはあの男、ここベルドリューバに襲撃をかけるつもりのようです。」

 キラールの声からは自信が薄れ、半ば絶望的な雰囲気さえ発していた。

 マイク・アンダーソンの強さを自ら体感した彼は、軍隊で対抗しても被害が増すだけなのを悟っていたからだ。

 たった一戦で黒の団はほぼ壊滅。

 その報告を受けたアルバート卿は表情を変えずに黙って庭園を見下ろす。

 この直後に訪れるであろう主人の狂わんばかりの怒声を予想し、執事はぐっと身を固くした。

 キラールなどはこの場で首を刎ねられる覚悟さえしたいた。

「くくくく・・・。」

 しかしアルバート卿は報告を受けてキラールを斬るわけでも、まして怒るわけでもなく笑っていた。

 その意外な姿に執事もキラールも思わず息を飲む。

「そうか。アンダーソンがここに攻め入るか。くくくく。」

 まるでそれを待ちわびていたかのようにアルバート卿は楽しげに笑い、空を見上げた。

「黒の団をして全く相手にならぬ男・・・か。軍を動かしたところで大した障害にもなるまい。どうやら私自ら丁重に迎えなければならぬようだな。」

「閣下!」

 執事が諫めようと声を発するも、アルバート卿の耳には届いていない。

「くく・・。本国との戦争よりも熱くなれそうだな。」

 アルバート卿は庭園をみつめて楽しげに笑っていた。



 あれから4日が経っていた。

 俺達はマイクの保護の元、ウェンレーティン家との決着をつけるべく、ベルドリューバを目指していた。

 たった5人でベルドリューバ宮殿に乗り込むという一見無茶の過ぎる計画。

 しかしマイクならば1人で宮殿そのものを消滅させることもできるだろう。

 まぁそんなことをすれば、今回の騒動に関わりのない多くの衛兵や貴族、宮殿で働く多くの者も巻き添えになるから、いくらマイクでも軽々しくそんな真似しないだろうがな。

 え? 疲れ切っているのに休息する間もなくまた旅に出ているのかって?

 まぁマイクの島での戦闘があった翌日から旅に出されたが、今回はゆったりと休みながら旅が出来る船旅だ。

 第三章で損傷して以来、ずっとドック入りしていたムロト号の修理がやっと完了し、これが最初の航海となるらしい。

 俺達の保護と宿舎、そして休養期間とムロト号の試験航行を兼ねての航海。

 さすがにあの小屋に五人は寝れんからなぁ。

 俺は情けないことにあの日に床についてからまる2日間、目を醒ますことはなかった。

 マイクが言うには俺の体はとっくに限界を超えて酷使されていたという。

 その為か目を醒ましてからも全身に残る強烈な筋肉痛の為にまともに立ち上がれず、殆ど寝たきりの俺を先に回復したマリアがずっと看てくれていた。

 泣きそうな顔されてじーっと看病されると言うのも、なーんとも気まずいと言うか、情けないというか、恥ずかしいというか・・・。

 意識は取り戻していたのだが、その切ない視線に耐えられそうにない俺は動けるようになるまで更に2日間、狸寝入りに徹するのだった。

 そんな感じで長いなが〜い4日が経ち、俺はようやく歩ける程までに回復した。

 この日俺はマイクに連れられて船底の最奥に設けられた部屋に来た。

 主に儀式魔法に使われる部屋で、壁には強固な耐衝撃、耐魔力用の防護魔術がかけられている。

 部屋の真ん中に置かれている祭壇の他には何も置かれていないだだっ広い正方形の部屋。

 床には大理石が使われているが、壁は他の部屋と同様に木材が使われ、何の飾りっ気もない

 床の大理石も魔法陣などを描きやすくするための実用的な用途で使われているのだろう。

部屋の中心に設置された祭壇の上には、眠りについているクリスが横たわっていた。

「あいつ等から聞いた話ではお前さんがお師匠の遺言書を暗記していたと聞いたんだが・・・。」

 マイクは俺と部屋に入ると部屋の内から鍵を閉めた。

「ああ。さすがに術式の中身まで読解する余裕はなかったが今も頭の中に残っているよ。」

 俺がそう答えるとマイクはふっと笑み浮かべてクリスの方に歩いていく。

「まぁ誓約の儀式はお師匠の遺言書を取り戻してからにするつもりだが、いざというときのためにそいつを聞いておきたくてな。」

 マイクは生気のないクリスの頭をそっと撫でた。

 今まで俺達には見せたことのない様な哀しげな表情。

 眠り続けるクリスの姿に何を映し出しているのだろうか。

「そんなこったろうと思ったよ。こっちの用意はいつでもいいぜ?」

「世話をかけるな。」

 マイクはそう言うと、祭壇の傍らに白紙の巻物を広げ、その脇に蓋を開けたインクの瓶を置いた。

 そして軽く術式を組み上げると、部屋の壁全体に、うっすらと魔力を帯びて発光したスクリーンが生成された。

「じゃあ始めるぜ?」

「ああ・・・。よろしく頼むわ。」

 準備が整ったのを確認して俺はヴァーン・ハールの遺書に書かれていた古代高速言語を一文字一文字ずつ発音していく。

 すると俺の発音に合わせるように、生成されたスクリーンに文字が浮かんでいく。

 ライトの魔術。

 ライトとは言っても照明のライトではなく、書記のライトだ。

 膨大な魔術術式を書写しなければならない魔術師達にとって、最重要とも言える魔術の一つだろう。

 多くの魔術師が修行過程における最初の目標地点にこの術式を設定すると言われる程、重要視されている術式なのだ。

 作業は順調に進み、スクリーンが古代高速言語でびっしり埋まると、巻物への書き込み作業に入った。

 マイクがまた別の術式を組むと、スクリーン上に映し出されていた文字が順に浮き上がり、インク瓶へと吸い込まれていった。

 すると今度はインクを含んだ状態でインク瓶から再び浮き上がり、白紙の巻物へ次から次へと吸い込まれるように飛んでいく。

 紙面へと着地した文字は、付着したインクによってしっかりと紙に印字されていった。

「見ていてなかなか爽快なもんだな。」

「まぁな。」

 全ての印字が終わるとマイクはまたスクリーンを生成した。

 そう。一度の書き込みだけでは足りないのだ。

「よし、じゃあ次頼むわ。」

「ああ。じゃあ続けるぞ?」

 俺は再びヴァーン・ハールが組み上げた術式を唱え始め、マイクはそれを聞き取ってスクリーン上の文字へと変換していく。

 そうした作業を俺達はぶっ続けで2時間かけて繰り返した。



「ふぃー。」

 印字の作業が終わり俺達は一息をついた。

 最初は爽快だと言っていたのだが、それが延々2時間も続くと見飽きてくるし、さすがに疲れる。

 特に俺はまだ完全に回復しているわけではないしな。

「ゴンザ、ちょっと待っていてくれ。お前さんに渡す物がある。」

 俺が床に座り込んでいるとマイクはそう言って部屋を出ていった。

 なんだ?この俺に何を渡す物があるって言うんだ?

 待つこと5分くらいか。マイクは小さなポーチを片手に戻ってきた。

 部屋に入るなりそれを俺に投げてよこす。

「借しにするつもりで用意していた物だが、まぁ今回のことでチャラだな。」

「借しにするつもり?」

 俺は訝しげに聞き返したがマイクは何も応えずに中身を開けるように促した。

 開けてみると中からは1本のポーションと魔力の付与された護符が入っていた。

 何だこれは・・・?と思いマイクを見上げると奴は説明を始めた。

「あれから俺なりにあの薬を研究してみてね。」

 あれからというのはバズヌの塔の一件、そしてあの薬というのは不老長寿薬のことだろう。

「単刀直入に言うとその薬を服用すればお前は男に戻れるって代物さ。」

「な・・・なんだとう!?」

 俺は思わずマイクに詰め寄って聞き返した。

 お・・おおお・・男に戻れる。あの無敵の武力を取り戻せるというのか!?

「まぁ慌てるな。そいつはあくまでもまだ未完成品で効果時間はそう長くないんだ。もって1、2時間って所か。」

 1、2時間の間だけ・・・か。

 いや、それだけあれば十分だ。少なくとも今回の黒の団程度の敵ならば軽く全滅させることもできる。

 なんて画期的な物を作りやがったんだこの男は!

 しかもまだ未完成と言うことは今後の更なる結果も期待できるという物だろう。

「で・・・でかしたマイク!スゲェよ・・。効果時間は短くとも今の俺には十分さ。」

 俺は喜びの余り少し興奮していた。

 しかしふとあの時の記憶が蘇る。

 そう、あの時も興奮を抑えきれずに迂闊にあの薬を飲んでしまったのだ。

 今でも忘れはしない。

 あの時のスッキリ爽快なオレンジ味は。

「なぁマイク・・・。これ、効果はちゃんと試したのか?」

 俺は冷静さを取り戻してマイクに訊いてみた。

「ああ、心配するな。ウチにやってきた献体を使ってちゃんと実験してあるからさ。大した副作用は確認されていないよ。」

「ちょっと待て、実験って持ち帰ったあの薬を飲ませたのか?」

「ああ。5体ほどの献体にね。みんななかなか個性的で魅力的な女の子に変身してたよ。どうやら本人の好みのタイプに変身するらしいな。」

 そう言ってへらへら笑うマイク。

 献体というのは奴の家に忍び込もうとして捕まった哀れな盗賊達のことだろう。

「そうそう。使い続けると現段階ではだんだん効果が薄くなるらしくてな。」

 ふと思い出したようにマイクが声を上げた。

「最終的には一切効果が無くなる。だから使うタイミングはよく考えなよ?」

「なるほどな。了解したよ。」

 こいつは思わぬ収穫だったな。

「んでそっちの護符はお前から預かってあるウルバックを召喚する魔術を封入してある。」

「ほぉ。」

「薬を飲んだときに使えば以前の装備で暴れられるって寸法だな。必要なくなればウチへ送還も可能だ。一日二往復できるように組んである。」

「そいつは便利だな。持ちきれない荷物なんかもこれでいつでも取り出せる訳か。」

「ま、そうなるな。」

 こりゃ良い物を貰ったものだ。

 極度の体力低下のせいで持ち運べなくなった非常用の装備も、いくらでも詰め込んでおける。

 これからの冒険者生活も随分と楽になるだろう。

「ありがとうなマイク。これは本気で助かるぜ。」

「ま、今回のことでおあいこだ。気にするな。」

 そう言うと俺達は互いに顔を見合わせて笑った。

 だが笑い声は3人分した。

『ジョニーか。』

 俺とマイクの声が見事に重なる。

「只今戻ったでござるよ。内偵及び本国への工作は全て完了したでござる。」

 いつの間にか戸口に立っていたジョニーは、いつものように腕組みをして報告を始めた。

「お疲れさん。で、ウェンレーティンの反応は?」

「アルバート卿はマイク殿が攻め入るという報を聞いて、驚くどころか楽しみにしているようでござるよ。どうやら我等と同じ病気のようでござるな。」

「ほう。」

「ふむ。」

 我等と同じ病気。

 俺もマイクもジョニーのその一言でウェンレーティンに対する印象ががらりと変わらざるを得なかった。

 病気と言っても俺達は実際に病気にかかっているわけではなく、抜け出せなくなった悪い癖を指して言う言葉だ。

「アルバート卿は既にマイク殿が向かっていることを知っていて、これを自ら迎え撃つつもりのようでござるよ。」

 今まではただ自己の権力に執着するあまりに狂ってしまったというイメージしかなかったのだが、どうやらそうではないらしい。

 奴は極めて純粋にそれ(・・)を求めていただけなのだ。

「おもしれぇ。」

 マイクはジョニーの話を聞いてにやりと笑みを浮かべた。

「貴族のボンボンがどれ程やれるかしらねぇが、じっくり楽しませてやろうじゃないか。奴の人生で最大、最高の戦闘って奴をな。」

 マイクもウェンレーティンが辿ってきた境遇は想像できていたはずだが容赦する気はないようだ。

 まぁマイクにしてみれば、自分の師匠の仇。

 それにこうも歪んでしまった者を知って、放っておくこともできまい。

「さてマイク、用事は済んだようだから俺は部屋に戻るぜ?」

「ああ。じっくり休めよ。」

「ああ。そうさせて貰うわ。まだちとギクシャクするんでな。」

 決戦の日は近い。

 当日には恐らく俺達の出番はないだろうが、それまでには体調を元に戻しておきたい。

 正直寝てばかりなのはいい加減うんざりなのだが、この体は更なる休養を求めて止まないものは仕方ない。

 悲鳴をあげるのも無視してとことん酷使したことだし、ここはじっくり休ませてやろう。

 全く厄介な体だ、と俺は独り言を呟きながら船室へと引き返していった。



 テイファが部屋を出て、後にはマイクとジョニーの二人が残された。

 二人は遠ざかっていくテイファの足音を聞きながら、扉越しに彼女の方を見ていた。

 しばらくの沈黙。そして彼女の足音が届かなくなってから、マイクはジョニーに声をかけた。

「んで、ジョニー。あいつ等がここに着くまでに一体どれだけの敵を裏で消してきたんだよ。」

 訊かれたジョニーは軽く眉をしかめる。

 そして一瞬躊躇った後、自嘲気味にくくっと低く笑った。

「流石マイク殿。拙者がテイファ殿の影となっていたこと、見抜いてござったか。」

「そりゃーその萌え萌えした目を見りゃぁな。」

 ジョニーは少しバツが悪そうにマイクから目を逸らし、ぽりぽりと頭を掻いた。

「それにな。」

 マイクが真顔で続けると、ジョニーは改めてマイクに顔を向けた。

「いくらゴンザが付いているとは言っても、あいつ等だけであの忍者どもの襲撃を凌げるとは到底思えん。」

「テイファ殿でござる!」

 間髪入れずそう訂正するジョニー。

「やれやれ。名付け親になって萌え萌えするのは勝手だが、中身はゴンザだって事わすれんなよ?」

 マイクはそんなジョニーを見て呆れたように溜め息を吐いた。

「しかし真面目な話、拙者が直接手を貸したのは一度だけでござる。」

「ほう。」

 マイクにとってこの答えは予想外の物だった。

 いくらSクラスの経験者であるゴンザレスが付いていたところで、所詮はCかBクラス冒険者の寄せ集め。それに比べあの忍者軍団は平均レベルAクラスはある上に、人数も彼等の10倍は居たはずなのだ。

 しかも地の利も忍者達に優位であったことは明か。

 その状況下を生き抜ける力が彼等の何処にあったというのだろう?

「テイファ殿の巧みな戦術によって、敵も迂闊に手を出せないように仕向けたのでござるよ。いや、あれは見事な手腕でござった。」

 ジョニーは腕組みして何度もうんうん頷きながら回想する。

 

「拙者が動いたのはストール川の手前の山にさしかかる際、黒の団が総攻撃を始めたときだけでござる。あの時は既にテイファ殿達の疲労もピークでござったし、何しろ多勢に無勢、あの時ばかりはどうしようもなかったでござるな。」

「なるほど・・・。しかし面白い連中だな。個人の実力は大したことはないのに、集まればAクラスの集団相手にも立ち回れるってか。」

「今回はクリス殿の助けもあって故ではござるが、4人集まればAクラスの実力は発揮できると思うでござるよ。」

 マイクはふむ、と一言応えて彼等の顔を思い浮かべた。

「マイケルとキッドか。ギルドで見かけたときは気にもかけなかったが、こんな形で芽が出るとはね。」

「やはりテイファ殿の影響が大きいのでござろうが、これからが楽しみなパーティでござるな。」

「ああ、そうだな。」

 二人は顔を見合わせ、ふふっと笑った。

 



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